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シンクロニシティについて

今さっき、思いついた事があったので心に感動のあるうちに言葉にしておこうと思います。

シンクロニシティという言葉があります。願望実現系の本を読んだ事がある人ならよくご存知のはず。
 
 
 
願ったら忘れる。

これは願いを叶えようとする時、よく言われる事です。
あれこれ、思うのではなく、流れに身を任せれば望み通りのように偶然が重なりうまく行く、と。
 
色んなところで勉強しました(笑)
確かに変な偶然、不思議な偶然はあります。それをシンクロニシティだと言われればそうだよなぁ、と思います。しかし、それは上手く行っているからそう見えるだけで、そうじゃない時にもシンクロニシティはあるんじゃないか、そう考えてきました。
 
ただ、全く手がかりはつかないまま、十数年前経ちます。
 
 
 
さっき、本当につい先程、お風呂の中でハッと気づくことがありました。少しでも動くととんでしまいそうな感覚、まだ、言葉にもならない感覚です。
いま、こうして、文字にしながら、少しずつ、頭に刻んでいます。
 
 
ずっと、手がかりのなかった「シンクロニシティ」という言葉。
言葉として知ってはいても、偶然のものだし、どう、使えばいいのかわからないし、そもそも、使おうとする時点でシンクロニシティからは離れてしまうかも、と納得からは遠いものでした。
特に、私は武術で世界を考えています。
 
目の前に現れる刀。その刀を前にシンクロニシティを期待できる人を私は見た事がありません。武術という瞬間の世界では星占いも易も当然、シンクロニシティだって使えません(笑)
 
 
 
ただ、ここに納得へのヒントがありました。
私の武術はひたすら「身体」の感覚を掘り下げて作っています。
願望の世界は身体とは逆に「心」ではないか、と思いました。
心の世界でのシンクロニシティは他者との出会い。
自分の望む世界に辿り着くための他者との出会いをシンクロニシティ、と考えてみました。

大きな夢であればたくさんのシンクロニシティが必要です。
大勢の心がその瞬間、つながり、一つの大きな現実を作ります。
これを両端の一つとすると、身体はその逆を考えます。
 
ひたすら、一人、自分一人になっているのを考えました。
 
 
 
一人になったとき、そこに、シンクロニシティはないのか?
そう考えた時、身体自体がシンクロニシティの塊ではないか、そう思いつきました。
 
これまで稽古をしてきてわかってきたのは、私の体は「想像以上にバラバラだった」と言うことです。
もちろん、体幹、手足、指先、その全ては繋がっています。しかし、ほんの少し動いただけで身体の中のバランスは崩れ、内観的、感覚的にはバラバラになります。
 
このバラバラ感をとにかくなくす、整える事が私の稽古でした。ルールの中で一本二本とって金メダルを目指すというのはどうでもいいんです。
20年以上そんな事を考えながら稽古をしてきて、徐々に感覚的に整う感じ、崩れなくなる感じをみつけ、新しい身体に驚かされてきました。
そして、その整いだした身体を使っていると、目の前にいた敵がいなくなり、思い通りの方向へと進める実感を得るようになりました。
 
これは、人生だし、運命だ。身体ならそれを自分のものとする事ができる。そう思うようになりました。このブログを書き出したのもそれを伝えるためです。
 
 
 
バラバラだった身体が一つになって、一つの目標に向かい出す。すると、目の前が開けてきて進む事ができる。
こうして言葉にするとなんだか、シンクロニシティと同じように思えます。
 
 
 
身体の中に感じる一体感と相手との間に感じる一体感、共にシンクロニシティなんだ、それが今の私の納得です。
夢を描き、流れに身を任せるのは「望む未来」を先に作るという事です。その未来に導かれるように私は動かされ、また、ともにその未来を作る他者も導かれます。心は未来を描くのにはちょうどいいのかもしれません。
 
逆に身体は「過去からの積み重ね」です。
身体の仕組みはオギャーと生まれる前から、誰がデザインしたのかはわかりませんが積み重ねられてきたものです。大きな夢を描いた時、そこに進みたい、と意志をもてば一歩一歩足を踏み出せます。
この時、心に、自分ならできる、という強い意志が必要です。
自分の生まれや経験だけで自分にはできるという強い気持ちが作れるのならいいですが、少しでも迷いがあるなら、徹底的に過去へと向き合い、自分への信頼を得なくてはなりません。
 
稽古として過去へ戻ると言うのは、身体の仕組みを根本から見直す、と言うことです。ただ筋トレをするような消極的な練習では行けません。
なぜこの骨はここにあるのだろう?この筋はなんだ?肌ってのはどうしてこうなんだろう?
人間として「当たり前」の事に意味を見いだせた時、自分の身体は整い、一つにまとまります。
おそらく、掘り下げれば掘り下げるほど、それは大きくなるはずです。
 
ずいぶん、しっかりと研究してきたつもりですが、掘れば掘るほど、人間の可能性は大きくなり、途方にくれそうです(笑)
 
 
 
私は過去からのアプローチが好きです。なぜなら、夢を描くことが苦手だから。未だに、好きな未来はなんなのか、よくわかりません。
それでも、今よりもちょっと先の未来は幸せでいたいなぁ、と願う事ができます。
それを実現するために、まず、身体を整えます。身体の中にシンクロニシティを作る、今ならそう言えます。
そして、その身体を動かし、誰かと出会い、共同作業として現実を作る。
今日はこのアプローチがはっきりした記念すべき日になりました。
 
 
 
でも、きっと、この興奮もすぐに当たり前になって忘れるんです(笑)
いつも以上に読みにくい文章でした。ありがとうございます。
きっと、読まれたあなたは私のシンクロニシティに巻き込まれた人です(笑)

これからも考え続けて、今日のこの考えを超えるもの、より納得の得られるものを見つけたいと思います。

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