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本当にやりたいことに出会うためには。

世の中は便利になって、自由になって、やれる事は増えたけれども、それが本当にやりたい事かはわからないものですね。
 
テレビや雑誌、こちらから見れば夢を叶えたような人であっても、そこに満足せずに今を投げ打って新しいものにチャレンジする人もいます。
チャレンジは見ていて楽しいものですが、本当にやりたい事に向かわず、そこに居続けることで魅力を失えていく姿を見ていると、少し、辛いです。
 
 
 
本当にやりたいことは何だろう?
多くの人が「頭」で考えます。
多くの人が考えて、ちゃんと答えに向かえればいいですが、どうやら、これだ!という答えは見つかっていないみたい。
本当にやりたい事はなかなか見つからない、私はずっとそんな思いでいました。
 
 
 
先日の稽古で「立つ」事の理解が広がりました。その結果、見えてきたのは、本当にやりたい事の見つけ方です。
本当にやりたいことは命が尽きる瞬間でも行いたい、と思うことなのだ、そう感じました。
 
それに気づいたきっかけは肺を半分にし、胃を半分に、心臓を半分にしたとしたら、その瞬間、立っているのも精一杯だろうなぁ、と研究しはじめた事です。
「立つ」という事を本当にやりたい事として表現できた実感があったのです。
 
 
 
武術ですから、自分勝手ではいけません。
目の前に敵がいます。敵がコチラに攻撃を仕掛けてきます。その攻撃をどう受け入れるか、それを考えなくてはいけません。
 
本当にやりたいこと…を考えてうまく行かないのは自分勝手に自分の事だけを考えるから。おそらく、周りにいる他の人も本当にやりたい事を求めているのでしょう、無意識の中で。そこに衝突が生まれ、より強い意志を持った人の本当にやりたいことが現れます。
 
武術は常に相手との共同作業です。
「立つ」という事を本当にやりたい事にするために、まず、「立てない自分」を作りました。
これまで考えたことのない肺や心臓の事を考え、これらが働かなくなったときの自分を想像します。この想像、イメージが内観的な稽古のお陰でリアリティを持ち出したのかもしれません。内臓を弱くする事で意識の中で「立てない自分」が生まれました。
 
この時、他に力がなければそのまま倒れるだけですが、この時、気力が残っているのではないかとひらめきました。
息をするのも精一杯、これは「ドン底」です。
ドン底なのにさらに怖い、というのは本当のドン底ではなかっただけ。
本当にドン底にいたら、相手がいくら邪魔をしてこようが気にする余裕がないのではないか、そう思えてきました。
 
 
 
そういう気持ちで立ってみると、相手がいてもいなくても、自分の意識はひたすら、足元です。バランスを取ることに専念します。
それが気力のようなもの。形としてないけど存在している力です。
その力はバランスを取るだけ。それを動かしてみると、結果的に身体全体が動き、技になる。そんな仕組みを自覚しました。
 
 
 
仕組みがわかれば後は応用。
運命として、人生の中でその仕組みを使うにはどうしたらいいのか考えたくなります。
本当に自分のやりたい事とはなんだろう?
その問い持ったとき、命を意識しない状況ではだめだな、とわかります。
しかし、今の私はそんな命の危機はありません。ただ、稽古でなら内観力を育てる事ができます。少しずつ、身体を手放すことにリアリティを持てば、本当にやりたいことの「精度」が上がるはず。
本当にやりたい事が見つかるかもしれない、それがわかったので、それを、求めること。これも研究の一つになります。
 
 
研究を癖にすると、安心はありません(笑)
わかっても、また、次のレベルを求めるからです。
これを楽しむために稽古があります。ぜひ、一度、お試しください。

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