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「立つ」ということ

さっき書いた心臓の事、肺の事、内臓が弱っていたとしたら…、それを思い、身体に表し、稽古をしてみました。
 
改めて「立つ」という事を当たり前に受け入れてしまっているんだなぁ、と。
 
 
 
今のわたしは「立つ」事を苦にすることはありません。
もちろん、長く立っていたり、邪魔する相手が出てきた時には「立てなく」なります。
しかし、普通に「一秒立つ」のに「苦しさ」は感じません。
 
でも、もし、その一秒も立てないほど肉体が弱っているとしたら…。
その時、やりたい事がなければ横になったままでもいいでしょう。
しかし、心の中に立ちたい、立って何かやりたい、という思いがあれば、肉体を補うように内観的な力が必要になるかもしれない、そう思いました。
肉体で立てないからこそ、内観が働かせる事ができる、そう思っています。
肉体と内観、合わせて100%なんです。
 
 
 
生な体、肉体で立てない時、意識は足裏に行くように思えます。重力があり、地面とぶつかっているのですから。
その地面との接触をどうするのか、感覚はいつも、そこにあるのではないでしょうか。
この時、他者が襲ってきても、もともと、気にする必要があるのは足裏の地面です。敵を敵として見ない、それを身体で表現する事ができそうです。
 
 
 
この立ち方を試してみると、なんだか、ずっと、浮いている感じがします。相手に押されてもそれは維持をし続けるような。相手までも、足元の力が抜け、浮いているそうです。
積極的に肉体を捨てるように意識をする、というのは変な話です。
病気の話を聞いたからこそ、想像するきっかけを得ることができました。
この「手放す感じ」は身体があってこその感覚。単なるイメージとは全く違うことです。
手放すのですが、なくてはならない、そんな思いが出てきます。
 
明日、甲野先生からまた、たくさんのものを受け取るはず。そこに化学変化がおきて、今考えているものとは全く違う術理になってしまうのだろうと思います。
今の動きは「超しょんぼり」。研究できるのもあとわずかの命かも知れません(笑)
明日、みんなに受けてもらい、感想を集めてみたいと思います。ご協力よろしくお願いします。

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