フォト
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 進めるのは前だけではなく、後ろにも。 | トップページ | 経験をいかに積むか、それが問題だ。 »

学んで試し、身につける

先日読んだ本に「感情のコントロール」というものがありました。

昔、一度読み、そのまま書棚にしまわれていたものです。
 
改めて読んでみると、「わかる」事が増えていました。
理由は簡単、自分自身が自分の事を以前よりも、わかっていたからです。
 
 
 
同じ本を読み、同じ知識を得ても、どう理解をするかで、その知識は役にも立てば、ゴミにもなります。
知識はたくさん、手に入りようになりましたが、自分にぴったりの知識に会えるかどうかはわかりません。
 
その本を読んだとき、自分はどれだけ「わかって」いただろうか?ちょっと不思議になりました。
優しい言葉で書かれている本だったので、すいすいと読み終えたはず。そして、なるほど、とも思ったはず。でも、それが本当に役立てられたかというと疑問です。
 
 
 
多くの人が知識を得ることに一生懸命になります。
問題に対して答えがある、と思っているから。
それで解決をするなら誰も不幸になりません。しかし、現実はちょっと厳しいですよね。
 
知識を得て、うまくいかず、また、知識を探す。
ゲームなら最後の答えもあるかもしれませんが、答えのない問題があるのが現実の世界です。
外を探すだけではなく、自分自身を変える、という方法があります。
 
 
 
感情のコントロールをするには、自分の感情のパターンを知っておかないと、というのがその本でした。
人にはタイプがある。人間をタイプ分けする手法は世界中にあります。その本は四つに分けていました。
今回たまたま読み直したことでわかったのはここです。
 
 
 
四つのタイプがある、と学んでも、それは知識の上だけ、どうやら実感としては少なかったようでした。
身体感覚がすこし磨かれ、細かな変化が感じ取れるようになって、その四つのタイプを改めて「イメージ」をすると、一つ一つのタイプがぐっと身近に感じました。
 
 
 
稽古をする事でわかってくるのは、自分の中にある新しい感覚です。
そして、だんだんと、自分の可能性が増えていきます。
でも、これはポジティブなことだけではありません。
自分の中の見たくないものも見えてきます。たまたま、ほかの要素が大きく、強いから隠れていただけで、もしかしたら、ちょっとした出来事で立場が変わるかもしれない事を教えてくれます。性格が変わるかもしれないのです。
 
 
 
良いことも、悪いことも、自分の中に蓄えられている、それが稽古でわかります。
自分の中に見つけたことだけが外にも見つけることができます。
どんなに素晴らしいものが目の前にあっても、それを見つけることができなければ、まったく意味がありません。
 
自分の感情が動くとき、目の前にはなにかがあります。
その時、反射的に恐れをだしてしまうのか、恐れを自覚し、ちょっと立ち止まり、考え、選択して行動に移すのとでは結果はまるっきり違ってきます。
自分を変えたいのなら、まず、この反射をなんとかします。
 
 
 
まず、自分の中で確かめる。
そのために知識を入れる。その知識はまだあやふやです。しかし、稽古をすると、その知識が本当だった、確かだった、とわかる時がきます。絶対に!(人は自分が見たいものしか見えないそうですから・・・)
その時、やっと、知識を自分のものとして、信頼し、活用できるようになります。
 
 
 
私たち現代人はすでにたくさんの知識を手に入れている、そう考えれば、この先新しいものを探さなくてもいいかもしれません。
ただ、子供達はもう少し、知識を求めた方がいいかもしれません。
自分が自分の人生をどうしたいのか?それを考える機会がないまま大人にさせられてしまっています。まわりの圧力に負けず、子供心を忘れないまま、大人になれればいいですが、もう、それは無理・・・かな。
 
 
 
 
私は教える事は苦手ですが、研究だけは上手になってきました。私にとっての「稽古」は「研究」と同じ意味を持ちます。それまで大切にしているものがなかったようなので、新しいものをどんどんと使えるみたいです。
求めれば必ず応えてくれる。それが私たちの身体です。
 
今日、私が求めていたのは「研究の仕方の研究」だと自覚しました。
なにを研究対象にするにしても、その研究を支えるのは自分の感性です。言われたままをするだけでは研究は進みません。
その自分の感性こそ、身体感覚が生み出すもの。
心と体、どちらが先に反応しているのかはわかりませんが、体に生まれる感覚ならつかむことができます。自分の身体の事をより理解をすれば、求めたいことを加速させることができます。
 
身体感覚の稽古をしって、これは「誰にとっても必要なこと」と直感しましたが、その理由が今一つ分からずにいました。
でも、やっと理由がわかり、ほっとしています。
 
 
 
ずいぶん時間がかかりましたがやっと、運命について真剣に向き合えるようになりました。
大きすぎるテーマにずっと、自分なんかが考えても、求めてもダメだろう、と思っていたから。
それでも、身体感覚の稽古は楽しかったので続けてきました。
結果的に、その稽古のおかげで研究力を養い続けてこれたのだとわかります。
運命とはなんだろう?どうにかできるものなのか、と問いかけた時、沢山のヒントが頭に浮かぶんです。
 
向き合うまでには時間がかかりましたが、それまでの時間は自分にとって必要な時間だったようです。
 
 
 
今週は浜松で大人の武道塾、そして名古屋でワンテーマ研究会です。

« 進めるのは前だけではなく、後ろにも。 | トップページ | 経験をいかに積むか、それが問題だ。 »

心と体」カテゴリの記事

運命」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

山口潤のツイッター