甲野先生に出会い、身体感覚の世界を知った事で稽古を始めた。しかし、甲野先生の言葉は難解過ぎた。初めてお会いした時、先生が言われていた術理は「内観的には後ろに引くけれども実際に手は前へ伸びる」というもの。わかるはずがない(笑)。
それでも先生の技は衝撃的だった。自分もその技の世界に行きたいと思ったのだ。良かったのは甲野先生が教えてくれる先生ではなかった事。先生はご自身の稽古を見せてくれる人だった。
稽古を見せてくれる、というのは簡単に言うと、自分のできない姿をさらけ出す事だ。これがいかに難しい事かというのは分かる人には分かる。教える事を仕事にしている人ならばなおさらだ。
先生は常に目の前のこんなに対して身体と向き合う姿勢を見せてくれた。そして、その困難に対して、まるで想像もつかないものをきっかけに解決をさせてしまう。その姿を見る事が出来たから、私もいろいろなものに興味を持ち、答えを探せるようになったのだと思う。
武道の世界はなわばりが強い。まぁ、それも先生次第、なのだが、あまり自流の形を皆、変えたくないと思っている。そんな気持ちがどうしても研究心を塞いでしまうのだ。
私の場合、頭を抑える師匠はいなかったが、求めたからには結果をださなくてはいけない、という勝手な思い込みを作ってしまっていたので自ら答えを探すことなく過ごしてしまった。
その無意識にあった思いを甲野先生はたった一つの動きで壊してくれたのだ。
何が何でも手に入れたい、と願ってからは様々なところにヒントを求めた。とは言え、他流の道場を巡るほど気持ちは強くない(笑)。手掛かりになったのは本だ。
当時すでに数冊の武道系の雑誌が出ており、不思議な技を解説してくれている本もたくさんあった。それらの本を買い、読み漁った。
本を読んでいる人は多いだろう。しかし、私が運が良かったのは実際に想像を超えた技を「経験」していた事だ。理想とする技があり、それに近づくために本を読み、情報を得たのだ。
何冊も読みこんでいくとそこに共通点がでてくる。どれを正しい、とも思わず読んでいたので、自然と共通点へと興味が惹かれたのだろう。そのうちの一つに「伸筋の活用」というのがあった。当時は「伸筋」という言葉も知らず、本当に無知だったので伸筋の使い方さえ手に入れれば何でもできるんじゃないか、と浮かれていた。
実際に試しながら稽古をすると確かにそれまでの動きとは違ってくる。多くの日本人は「屈筋」を使っているらしい。パターンを逆に使うのだから相手からすればフェイントのような形にもなるのだろう、技がかかるのは当然だ。
しかし、ある程度伸筋の感覚をつかんでもどうしても技の限界が来てしまう。
触れただけで相手が崩れ、飛ばされる。なかなかそんな技になりそうにない。
いつしか、伸筋の工夫も忘れて、身体にある様々な別の働きを追うようになっていた。
しかし、今日、当時夢に見ていた触れた瞬間に相手を崩す動きをこの「伸筋の活用」でたどり着いた。
最近気にしていた動きは「肉体」をまっすぐ相手に入れていく、というもの。その力を発揮するのに手の甲を張り、第一関節を曲げる事で相手と接触しても形が崩れないようにした。
崩れない手を作ったらあとは包丁の刃筋を整えるように角度を気にして切っていくと相手は「瞬間的に」崩れだす。ここまではわかっていた。そこに「伸筋」の働きを加えられるとわかったのだ。
その方法とは「二の腕を肘方向へと押し出す」、これだけだ。あまりにも簡単な動作だが、強く二の腕、わきの下から肘にかけて柔らかい部分を押し込めば腕が縮みにくい形になる。屈筋が使いにくい、つまり、伸筋が働きやすい状態になる。
この状態で手を動かすと力の逆流が10分の1ほどになっている感覚がある。これまでとはまるで違う軽さで相手を崩す事ができた。
そして、この原因を「伸筋」と見てから、自然と体幹にもそれがあるのではないかと考えた。
二の腕の柔らかい部分に似ているところ・・・そうして探したのが「お腹」だ。お腹の柔らかいところを上へと引き延ばす。自然と背筋が伸びて身体を縮めにくい。
第一印象は「動きにくい」だ。しかし、伸筋の働きに意識をおいて観察をすると、肩、股関節の動きが良くなっているのがわかった。伸筋の働きは身体のあちこちに応用が利きそうである。
結果重視で次々に動きを変えているので、検討したいテーマが山のようにたまってしまっている(笑)。それでも今回のように20年をかけて気づく事もあるのだから本当に面白い。
機械やサービスを使えば簡単におおきな結果が手に入る時代になった。しかし、結果ではなく過程を楽しむ事を稽古は教えてくれていると思う。誰もが結果を得られるようになった時、「自分」を取り戻してくれるのは過程だ。改めて研究稽古の重要性を知った。