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【稽古録】2017/08/27 屈筋と伸筋に挟まれた空間

名古屋での大人の武道塾。
少し早めに道場へ着いたので、普段やらないストレッチでもするか、と寝ころぶ。実は半分、眠かっただけりもするが(笑)。
 
しかし、こういう普段やらない事から気づきが生まれるから面白い。
寝ころび、ゴロゴロ、ダラダラと過ごしながら、「屈筋を縮ませない」術理を確認する。
寝ころんだだけでも、腹筋には力が入っていたのか、と改めて確認して、これまでの何十年間、それに気づかなかった事の恐ろしさを実感する。
 
たった数日しか検討していないにも関わらず、確信がある。日本人には無意識的に縮こまる性質がある、という事だ。
それでも、機械やサービスの発達していない時代であれば、結果を優先するために、屈筋だけではなく、伸筋の作用も利用をして文化や日常を作ったはず。屈筋ではない動きを「型」、「作法」として作ったのだろう。以前、「型には気持ち、感情を込めてはいけない」と聞いたことがあるが、今回の感覚によって、納得を得る事ができた。
 
話をゴロゴロに戻す(笑)。
ゴロゴロしながら、お腹を縮ませないように伸ばしたり、上腕を伸ばす。数日間個の感覚だけを追ってきたからだろう、気持ちに少し余裕が生まれだした。まぁ、飽きてきたのだ(笑)。
屈筋を縮ませないように伸ばせば、伸筋の進む方向へと力が生まれる。伸筋がアクセルだとすれば屈筋はブレーキ。これまで無意識にブレーキを常に踏んでいた事になる。
屈筋を縮ませない、という意識だけで動きがガラリと変わるのは、当たり前なのだ。
 
余裕が出てきたので、上腕、腹筋だけではなく、胸にも縮む筋肉と伸びる筋肉があるのではないかと探してみた。
正しいかどうかはわからない、ただ、問いを持って探してみると、脳はとりあえずの答えを作り出してしまう。そこを手掛かりに新しい感覚を探してみる。
 
胸の筋肉に意識を置いて動いてみると、大胸筋は縮みやすい筋肉に思えてきた。もちろん、外へと胸は張れる。しかし、胸を張る動きよりも、ぎゅっと締め付け、警戒する動きの方がしやすい、と感じた。
胸が縮むのであれば背中が伸びる。肩甲骨周りの筋肉は胸の収縮と連動し、外へと伸びていくようだ。
 
ただ、この胸と背中の関係は先に見つけた腹筋や上腕二頭筋ほど動きとして確認がしづらい。大胸筋を縮ませない事によって気持ちよく動くものが見つからないのだ。
それでも、寝ころびながら探しているので、気持ちは抜けている。いくら私の稽古や講座が自由だとしても、ダラダラ寝ころび、時折、目を瞑っているこの姿は決して稽古をしているとは思えないだろう(笑)。しかし、これが一人稽古なのだ(私にとっての・・・)。
 
大胸筋を縮ませない事によって生まれる動きがなかなか見つからないものの、そこに意識を集中すれば必ず、なにかが見つかる。そしてその予想は辺り、胸と背中に「互い違い」の感覚を見つける事ができた。
 
腕と腹筋で見つけた動きは伸筋を邪魔しない動き、結果として、伸筋の発力方向へ力は流れる。
しかし、大胸筋を伸ばしたとしても、背中側の筋肉が方向を持っているかというと、動きになるほどのものを見つけられない。
そこで少し考え方は変えてみた。
 
屈筋は縮むのが得意な力。ただ、筋肉なのだから、その得意を発揮し続ければ当然、エネルギーは消耗する。屈筋を縮ませない、というのはそのエネルギーを消耗しない動きなのだから、ある意味、効率的だ。
では、伸筋の場合はどうだろう。
伸筋は伸ばす事によって力を発揮する。伸ばすように使えば当然、エネルギーも消耗してしまう。ならば、屈筋と同じように、エネルギーを消耗しない方へと力を向けてみたらどうだろうか、と考えて試してみた。
 
胸を縮めず、肩口へと力を流し、背中は逆に肩口から、背骨方向へ力が流れるように意識をした。
この時、前と後ろに互い違いの感覚が見つかった。
その互い違いの速度を合わせてみると、「胸」という部位に一塊感が出てきたのだ。動きが少ないからこそ、塊感を得る事が出来たのだと思う。
 
この時の塊を作るものは皮膚ではなく、内部にある。胸と背中でサンドイッチされた間にあるもの。もちろん、物質的には骨があり、内臓があるわけだが、感覚的には「なにもない」ように見えている。空っぽの空洞なのだ。
 
その「空洞」を意識したままゴロゴロと揺れてみる。身体の内部空間といえるものが捻じれず、動きが生まれる。
 
これは、この後、武道塾への参加者との稽古でわかった事だが、私がなにもない空間を意識していると、その身体を相手は止めづらい事がわかった。
恐らく理由はこちらが「空間」として肉体的に頼りにしているものがないため、他者から見ても、こちらを崩すきっかけが作れないのだと思う。
 
そして、その「内部空間」は身体のあちこちにも作れるようで、腰、腕、脚、手足、様々なところに筋肉の互い違いを作り出すと相手からは特定されにく「内部空間」を生み出せる。
 
屈筋を縮ませない術理は「明確な目的に集中する欲深いもの」だとすると、この内部空間の自覚は「努力もしないし、欲も出さない」、という実にナマケモノ的な術理だ(笑)。さすが、ダラダラゴロゴロから生まれただけの事はある。
現代のように夢や目標に対して突き進むことをもとめられる時代には逆行するような術理ではあるが、この感覚を持って動いた瞬間、心に競い合わなくてもいい安心感が生まれてくるのがわかる。競争にくたびれた時には頼りにできる術理になるかもしれない。また一つ、検討する動きが増えてしまった。

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