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【稽古録】2017/08/28 右足裏の縮み

夏休みも最終週。子供にせがまれ、プールへ行く。しかし、せがまれたのは運転手として(笑)。
友達と少し遠いプールへと行きたいそうなのだ。
 
身体感覚を探る事を覚えてから人生の中から退屈な時間がなくなった。退屈なのはなにも見るもの、見たいものがなくなってしまうから。身体を感覚で探っていくとどこまで行っても新しい世界が見えてくるのだから、退屈などありえなくなる。
 
プールへ行っても、友達がいるのだから私はひとりぼっちだ。水の中で動きを探ってもいいのだが、今日はそれをやめた。見つけたばかりの「伸筋」の活用法と、日常生活との関係を整理したかったのでプール横の売店でコーヒーを飲みながら思考を拡げる事にした。
 
答えのない問題を考えていると不意に答えがやってくる。その答えは自分にとっての答え、しかも、今の自分にとっての答えだ。
お腹を縮ませず、座り、ペンをとり、思いつくまま、紙に気になる言葉を書き出してみる。身体、心、姿勢、無意識、伸筋、屈筋・・・書き殴られた言葉を見ていると思いつくことがでてくる。
 
こんな感じで脳みそを使っていると、自分の中に納得が生まれ、言葉になる事が多いのだが今日は違った。
「右の足裏が縮んでいる!」と気付いたのだ。
 
腹筋が縮んでいる事で背中が曲がり、猫背のようになってしまう。これがお腹を無理に伸ばすのではなく、縮ませない事を意識することで背中の伸筋とのバランスが取れ、結果として通りの良い身体が現れる事に気づいたのだ。
 
腹が屈筋、背中が腹筋。
二の腕の力こぶ側が屈筋、背中側が伸筋。肉体には裏と表の法則があるから応用が利くのだ。
 
連想が自然と生まれたのだろう。足裏がお腹で、足の甲が背中、伸筋だとしたらどうだろう、と意識を足裏に集中してみる。
足裏の屈筋を伸ばしてみた時、今まで感じられない「頑張りの感覚」があった。足裏を伸ばした時に気持ちよさを感じたという事は、普段、この足裏は緊張し、、縮みすぎているという事になる。
足裏に対して「縮まなくてもいいよ」と語り掛けるように、意識をすると、足首の周辺に「流れ」が生まれてくるのを感じる。
 
実は右の足首がこの数年、ずっと気になっていたのだ。
その気になり方がたくさん食べるとむくむ、というようなポジション的な問題ではなかったから対処に困っていた。
その流れの悪さが足裏を縮ませない事によって、膝から下へ、足首を通って、足裏に行き、しっかり地面へと重さを伝えて跳ね返りをもらえるようになっているのが感じられた。
 
そこから数時間、ずっとその足裏の感覚を探っていたのだが、どうやらこれは自分の「癖」だったようだ。
無くて七癖、と言われるように「癖」はたいていの場合気付かない。その気づかせてくれない癖によって、この肉体は少しずつ崩れていくのだろう。私の場合は右足裏が縮みすぎる事によって、地面からの跳ね返りに乗れず、筋肉の力が身体の中心へと逆流している事がわかってきた。
 
この逆流が腹の中にまで通って来ればいいのだが、膝や股関節など、途中の関節で引っかかるようなのだ。その引っ掛かりが崩れを生み、痛みを作る。
崩れとしての膝や股関節、腰は見えるだろうが、源である足裏はなかなか見えない。
 
今、こうして自覚ができたので、この先、何十年かの身体が変わる。力を逆流させず、流し、地面へと返していけるようになる。努力ではなく、自覚するかどうかの問題なのだ。
もし、努力でこの疲れやすい右足を何とかしようとしてしまえば逆流していく力を加速する方へと使ってしまい、消耗してしまったはずだ。
 
人により、持っている「癖」は違う。
その癖を自覚するところに「運」が働くのではないか。
癖を指摘されても、もちろん頭はそれを理解するが、身体的には自覚できているかどうかわからない。忘れてしまうのだ。
しかし、今回、肉体的に気付いた縮みは忘れようがないもの。
 
今回「右足裏が縮みすぎる癖」を見つけらたのは、娘とプールに行き、友達のおかげで娘に相手にされず、ほっておかれた事でできた時間をペンを持ち、紙に頭の中のすべてを書き出したことで気づけたことだ。
では同じような事をもう一度行えばまた何かが見つかるかと言えばそれはわからない。なにがきっかけになって自覚が生まれるかはわからないのだ。
 
身体の感覚を稽古しだして、いつのまにかそれが仕事になった。可能性を感じるために必要なのは努力じゃない、むしろ、頑張ってはダメ、と言ってきた。それはこういう事があるからなのだ。
努力によって得られるのは計算された結果。だから、努力は裏切らない、というのは正しいだろう。しかし、病気やケガ、仕事の忙しさによって我々は時間を奪われ、努力をする事ができなくなる。努力は贅沢なもの、と考えておいた方がいい(笑)。
 
日常の全てを稽古にしてしまえば、あらゆる時間がなにかに気づくためのきっかけとなる。そういう生き方をする事で自分の周りにある「運」に気づく事ができる。
今、ネットの世界には「情報」が溢れている。たいていの場合、発信者それぞれが「正しい」と思っている。それらの情報に振り回されると、つい、頭を使い、努力が始まってしまう。
身体を観察することでそのサイクルから抜け出す事が出来るのだ。まわりからは「変人」として見られてしまうかもしれない。しかし、そこに楽しさを見つける事が出来ると、それは「個性」になっていく。こんな生き方を選んでくれる人たちと今、稽古が出来てとても幸せである。

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