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【稽古録】2017/09/04 頭痛で稽古

40も半ばになり、身体に無理が効かない事が増えてきた。
昔、年上の先輩から、40過ぎるとガタッとくる、と聞いた覚えがあるが、それは事実だったのだ(笑)。
 
実は最近、ちょっとした事で足元がぐらつく。もちろん、それは見かけではわからないほどの揺れなのだが、間違いなく、崩れている。
おそらく、これまでは筋肉が無意識にその崩れを抑えていたのだろう。その筋肉が落ち、身体が揺れるのだ。
 
実はこの崩れが研究には役に立っていた。
この数年、次から次へと新しい発見がある。それは稽古が上手になった、ともいえるのだけど、身体に無理が効かなくなり、崩れが自覚できる形になって表れているからだろうと思う。
感覚として自覚をすればそれを使いこなせばいい。私が「成果」を求めるのではなく、「研究」を習慣にしてほしいと言っているのはまさにこのため。観察が上手になれば、どんなに歳をとって衰えても、アクシデントによって人生が変わっても、それを実感として得られるのだから。
 
実は今日、朝から頭痛がする。それほど激しいものではないので、気のせいだ、と思えば普通になんでもできるし、薬を飲めばもっと感覚を鈍らせる事もできるはず。
しかし、こんな頭痛の時こそ、今、試したい術理で研究するのだ。
 
頭痛をする場所に意識を向けて観察をしてみれば、そこにも「屈筋」がある事がわかる。ぎゅーっと縮んでいく様子が見つかる。
縮みすぎるとよくない、と分かったのだから伸ばせばいい。指をあて、縮みに対して縮まなくてもいいよ、と意識をすれば、なんだ、普通に頭痛の時に手を当てている形になっているではないか!
 
私たちは誰に教わることなく、自然と行っている動きを持っている。
その動き、姿勢には意味があるのだ。その意味を自覚した時、それまで生きてきた事の嬉しさを得られるのだが、これは私だけだろうか(笑)。
 
そうこうしているうちに頭痛は消えてしまった。
激しい頭痛では反射的に負けてしまうだろうから、ゆるやかな頭痛は大切な研究の機会。身体の痛みを待ちわびるなんて変な話だが、この先、歳をとればとるほどその機会は増えるはず。もう少し、痛みを好きになれればいいなぁ、と思う。

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