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【稽古録】2017/09/05 下駄と感謝

久しぶりに「下駄」の話をツイートした。日曜日のワンテーマ稽古で話をさせてもらったおかげだ。改めて、下駄の不思議な効用に驚いているし、考えさせられる。
 
一番気になっているのは、下駄をはいた瞬間、その効果に気づけない、という事。
下駄をはいた事で地面に対する不安が無くなり、バランスが整う。しかし、この瞬間、その変身した自分に気づけない。
おそらく、あまりにも下駄がシンプルな道具であるがゆえに、まさか、自分を大きく変えているとは気づけないからだろう。
 
しかし、変身によって生まれる効用は試してみればすぐわかる。誰もが下駄の影響を受けて丈夫になってしまう。しかし、気づけないから感謝がない(笑)。
 
今日の稽古で気づいたのはこの点だ。
どうやらこの気づきは「感謝」という事を実感させてくれるみたいだ。
例えば「目」。私たちは当たり前に目を使い、生活をしている。年齢や生活習慣によって視力は年々落ちていくのが普通だ。どうしたって老眼が現れる。
 
それまで見えていたものが見えなくなる。これには心が揺らされる。不安になるし、なんとかしたい、と願ってしまう。
しかし、その前に目に対して「感謝」があっただろうか?
私はなかった。当たり前だ、と思っていたのだ。
 
もちろん、言葉の上ではありがたい、と思った事もある。だって、幸せになりたいのなら感謝をしなさい、と本に書いてあるんだもの(笑)。
しかし、実際にそれを全身でやれている気持ちになれない。
 
簡単な実験をしてみた。
目を塞ぎ、相手の攻撃を受ける。当たり前だが、なにも見えないのだからとても怖い。
そして、改めて、目を開き、相手の姿を見ながら攻撃を受けると、良く見える。
しかし、目を塞いでみる攻撃を受ける経験をする前には、相手の攻撃を怖い怖い、と思ってしまい身体が反射的に逃げてしまっていた。攻撃に目が居つき、目が動かなかった。
 
同じように見ているはずなのに、塞いでから目を開けた時には見えるだけでもありがたい、と感じていた。しかし、いつものように、当たり前に相手を見た時には怖い攻撃としか見えなかったのだ。
 
身体を得てこの世界にいる。それを感謝する事ができるじゃないか!と嬉しい気持ちになった。
感謝をしているか、していないか、それはなかなか外からはわからない。もちろん、言葉ではなんとでもいえる。私が望んでいたのは全身で、心の底からの感謝だ。その手掛かりが今日見つかった。そして、そのきっかけは「下駄」なのだからまた、すごい。

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