フォト
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 【稽古録】2017/10/03 目だけを左右に動かす | トップページ | 【稽古録】2017/10/05 常に身体を見続ける »

【稽古録】2017/10/04 vs大仏

時間が空いたので、ふと思い立ち、奈良へと行く。
いつの頃からか、京都、奈良にはちょくちょくと行くようになった。子供の頃、若い頃にはまるで興味のなかった寺社仏像だけど、なぜか、気になるようになってきた。
それでも、実際に仏像を目の前にして、「なに」をもらっているのかわからないのが気になっていた。わからない事が嫌なのだ(笑)。
 
そんなもの求めても仕方がないし、不自然だ、というのはわかる。多くの指導者はそれを口にする。しかし、自分の中のわけのわからないものに苦しめられてしまったのが私で、そのわからないものに対して答えを得る事ができるようになり救ってくれたのが身体感覚の稽古だ。
求めれば叶う、と気づけたのは大きい。
 
今日、奈良で見てきたのは奈良の大仏。盧舎那仏だ。
余りに象徴的なので、なぜか、これまで、奈良へ行ってもまぁいいか、と他を回っていた。
 
今回大仏廻りをする武器は「腹を縮めない」という事。事前に眺めていた仏像雑誌では当たり前だが力んでいないのは確認済み。実際に見てみたいなぁと思い来てみた。
奈良の大仏を見た時、まずその大きさに目を奪われ、沸き立ってくる思いは大きいなぁというものばかり。思いの目安となる術理がなければ大きさだけでやられていたはず。
 
「お腹」に目を向けてみればやはりというか、文句のつけようがない。そして、その時には気づかなかったが、他の仏像を見てから奈良の大仏を改めて見てみると、お腹だけではなく、「前後左右上下」に対してスキの無い姿勢だった事に気づく。
仏像にはそれぞれ、個性がある、と言われるが、その個性を姿勢が表しているとすればまぁ、当たり前かもしれない。
 
人の中で生活をすると、どうしても、目先のやり取りに神経を奪われる。お互いの姿勢からくる力をやり取りする以前に、感情的なもの、事務的なものを処理していくしかない。
動きをつくらない仏像、仏画はそもそもが持っている姿勢をそのまま見せてくれているのかなぁ、など、あれこれ思いながらあちこち回ってきた。
 
きっと、今日のこの経験も技に生きる。そのために行ったのだし(笑)。

« 【稽古録】2017/10/03 目だけを左右に動かす | トップページ | 【稽古録】2017/10/05 常に身体を見続ける »

稽古録」カテゴリの記事

山口潤のツイッター