【稽古録】2017/11/12 シン・ゴジラと進化と稽古
今日テレビで「シン・ゴジラ」がやっていた。
甲野先生に出会って以来、なにをするにも、なにと出会っても身体から見てしまう。
昨日父が亡くなった時の事を書いたが、喪主でありながら、身体から世界をみて、見送った。これが喜ばしい事なのか親不孝なのかはわからないが、身体感覚によって自分が生きている、という事を実感しながら生きることが出来るようになった。
まぁ、子供が幸せを感じているのだから親も諦めるはず、そんな感じだ(笑)。
シン・ゴジラの話だった。
この話もやはり身体というフィルターを通して見る。
海中で生まれたゴジラ。そして陸に上がり、立ち上がり、光線を出して街を破壊する。
ここに進化が描かれているという。
魚から始まり、両生類になり、哺乳類、そして人に向かう。
このストーリーの背景にはあのゴジラから人が生まれ、空を飛ぶというのもあったらしいが、ぜひ、それも見たいものだ。
頭で進化を考える事はたやすい。学校で学んだ事を思いだせば、進化は当然、と思えるだろう。
しかし、それを身体で感じた時の喜びを現代人は知らない。本当にもったいない。
今年、私は爬虫類の歩行を手に入れた。歩き方が変わったのだ。
歩く事なんて誰でもできる、と思っているかもしれない。しかし、トンデモナイ。車や電車、ネットがあるから歩かなくてもいい時代になった。だからこそ、我々は歩き方を忘れてしまった。
爬虫類的歩きは重力をフルに活用したもの。この歩行のおかげで重心が前後へと滑らかに動くようになり、夢だと思っていた人を飛ばす突きを手に入れた。
漫画や映画の世界のものだと考えていたが、極々、当たり前の現象だった。
この動きをきっかけにしてこれまでの動きを見直してみると、そこに見つかったのが「進化」だった。
手を上げる、という動き一つをとってもまるで違っていた。
本来は楽々自由に上げる事ができたはずなのに、自分勝手な手が相手と衝突を作り、苦労を生んでいた。自らが困難を求めていたとしか思えない。
お腹を伸ばして肩を背中に落とせば腕は前に行かなくなる。自然と動きは背中の面に従う二次元的になる。
そして、それを自覚したまま、肘から先を使えばいよいよ三次元的な動きになる。哺乳類が肘や膝を使い立ち上がったのは関係がないところではないだろう。
進化を考えるうえで問題は人だ。
ただ動くというのであれば動物で構わない。むしろ、動物の方が人間よりも動きがいい。では人になったという進化はなにを象徴しているのだろう。
ゴジラをみて、ハッとした。
身体のあちこちから光線を出すゴジラ。第四形態というらしい。
それを見て、あぁ、これは人だ、と私は感じた。
ただ動くのではなく、世界に影響のあるなにかを「発する」のだ、と。
動物には武器がある。特徴がある。その武器、特徴を世界に発している。
しかし人にはこれと言った武器がない。特徴もない。しかし、頭は働く。自分の思考によってどんな事を世界に発したいかを決める事ができるではないか、と。
身体を稽古してきてただ動きを求めるだけでは面白くなくなってきた。なぜ、私がこれほどこの世界にはまれたのかその理由がわかった。
それは研究をさせてもらえたからだ。
ものすごい教え上手な人に出会い、よくわからず新しい動きを手に入れてもそれはすぐに飽きてしまったと思う。
副作用なく完全な動きを手に入れる事が出来る薬があってもこれほどまでの喜びは得られなかったと思う。
今の自分をとにかく受け入れ、ほんの少しでも新しい動きがないかを探る事、研究する事がなにより楽しいのだ。
そして、研究によって考え方が変わる。その瞬間から私は別人になる。この繰り返しでずっと来ている。
人は可能性の塊。どんな生き方を選択する事も自由だ。
内側に見つけたものを外側に出していく。形あるなにかを求めているわけではないのでなかなか手を出しづらいと思うが、これによって他者との違いを楽に受け入れる事が出来るようになる。きっと、求めている人はいるはずだ。縁ある人に伝えて行こう。
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