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ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク

現代は目に見えないもの、数字として測定できないものはどんどんと排除している感じがありますね。

 
インターネットで人同士が繋がりやすくなったのも原因でしょうか。「共感」を生むものがより、高い価値を得ています。
 
 
 
体の中にも目に見えるもの、測定できるものがいくつもあります。
「筋肉」はその代表です。多くの人が嫌う「贅肉」も重さとして測ることができます。
「骨」もまた、その組み合わせのズレを見える化することができますね。
 
 
 
共感は楽しいですが共感だけでは自分を見失ってしまうかもしれません。私はそうでした。自分に自信を持てないままずっときました。
いつも、「答え」が先にあり、それをいかに早く求めるかを競っていたからです。
 
身体感覚は共感とは真逆かもしれません。ほぼ、自分だけのものです。ほとんど、理解を得ません。
 
 
 
・・・ただし、その瞬間をともにしている相手とだけは同じものを得ているのかも、そう思っています。自分であり、相手でもある瞬間をすこし感じ始めています。
 
 
 
共感の真逆、それが「ドキドキ」であり、「ワクワク」、そして「ゾクゾク」です。
「ドキドキ」は心臓、「ワクワク」は呼吸、「ゾクゾク」は皮膚、ちゃんとそれぞれ、生み出す「身体」がありました。
 
 
 
小人を見つけた!
最近私はそんな言葉で身体感覚と動きを伝えています。
その小人が教えてくれているのが「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」です。
考えるよりも先に「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」は生まれています。
一度生まれた「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」は決してなかったことにはなりません。頭で作る計画段階では予測できないもの、それが「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」です。
 
 
 
「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」を手掛かりとして、その後の行動を決める。身体感覚に従えばもうこれしかありません。
 
 
 
この感覚に気付いてみると、毎日の生活の中で意外と「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」しているな、と気付きました。
先日、名古屋は雪が降りました。その時にも、心は動きました。心の動きを言葉で表せば「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」です。
 
ついつい、身体を動かす事に一生懸命になるとわかりやすい筋肉や骨を使いすぎてしまいます。しかし、甲野先生は「内観」の大切さを言葉にしてくれていました。内観とはなにか、それを思いながら身体を観ていくと骨や筋肉だけではない身体も見えてくるようです。
 
 
 
稽古は終わりがありませんね(笑)。 
この楽しさを共有できる仲間を募集しています。
今月の終わり、1/28(土)、浜松に甲野善紀先生をお招きし稽古会を開催します。初めての方、運動が苦手な方も参加のできる講習会です。
 
詳細は下記のサイトをご覧ください。

真逆の自己啓発

ある時期、自己啓発の本をよく読みました。

 
ずっと武道をしてきたにも関わらず、自信が持てなかったので、ヒントはないものか、武道以外の世界に答えを求めました。
 
 
 
ほとんど、本を読まない生き方をしてきたので、新しい知識を手に入れると嬉しくなります。一つ一つの知識で強くなっていく感じがありました。
 
ただ、すべきことはわかっても、実際に使おうとすると、これがなかなか難しい、そんな壁に当たるようになりました。
 
 
 
 
そういえば武道の技もそうでした。
型としての技はとっても綺麗です。しかし、実際に戦うと綺麗な技はほとんど出ません。
漫画や映画では華麗に捌き、バッタバッタと敵をなぎ倒しますが、現実の世界では残念ながらお目にかかれないのです。
 
 
 
自己啓発的な知識もそんな感じでした。
自分を信じ、認め、未来をしっかりつくり、生きていく。
その教えは立派で、頭ではそうだそうだ、と完全に受け入れても、実際にトラブルと向き合うとうまくいきません。
 
 
 
まぁ、そんな時のために「諦めない」という保険のような教えも入っているのですが、その諦めない、というのを続けるのも大変です。
 
 
 
本を読み、知識を得て強くなり、それがダメになったらまた本を読む。そんな事を繰り返しましたが、なんだか同じことの繰り返しのようです。
これではダメなのになぁ、と思うようになりました。
 
 
 
 
それと並行して身体感覚の武術の稽古を続けたのですが、意外にも、こちらの方から自分自身を認めるきっかけ、納得を得ることになりました。まさか・・・な出来事です。
 
私が身体感覚の稽古にはまったのは、トンデモナイ技を体験してしまったから。そして、それを身につけるために必要な技が二つしかない、という事だったからです。二つぐらいならなんとかなるかなぁ、と思ったのです(笑)。
 
 
ただ、技を身につけたい、と思って始めたものでしたが、「身体感覚」という世界がものすごいのものでした。
機械やコンピューター、様々なサービスが発展し、自分の感性を必要としなくなっていたからでしょうか、こんな世界あるとは夢にも思いませんでした。
 
 
 
 
多くの自己啓発は自分を信じる事を要求してきました。
自信をつけるためにアファメーションや、宣言など、具体的な行動も教えてくれます。
その頃、イメージトレーニングが流行っていたのかもしれません。自分が想像するものが現実になるんだ、と言われていました。
 
そして、現在はさらに、イメージの重要性は高まっていますね。
脳のトレーニングを行い、イメージ力を高めます。写真やムービーで潜在意識になにかを植え付ける手法も簡単に見つかります。
 
見えない脳ですから、まぁ、それでうまくいけばいいんでしょうが、私にそれらは全く合いませんでした。工夫や努力をすればするほど、うまくいかない自分を見つけてしまうからです。
 
 
 
 
そんな自信が持てない自分でも、身体感覚の稽古はうまく行くのです。
 
 
こうして、改めてなぜ、うまく行ったのだろう?と考えているのですが、それはイメージを作ろうとするのをやめたからではないか、と思います。
 
 
 
 
いいイメージを作ろうとしても、無意識はどうせだめだ、というイメージを作ってきます。無意識には勝てません。
でも、身体感覚はイメージを作っても、作らなくても、関係ないのです。
イメージが働くのは脳です。
身体感覚は脳をのんびりとさせません。次から次へと感覚を見つけ、それに合わせて身体を動かし続けます。
気が付くと、いつのまにか、いいところへと行っているのです。
 
 
 
なんとなく、自転車に似ています。
頭で自転車に乗る人はいません。
自転車はバランスを崩しながら、それでいて、バランスを作り、前へと進みます。
前へと進んでいるのはわかると思いますが、どうして倒れないのはか頭ではわからないのです。
 
 
その瞬間こそ、身体が主役になり、自分を動かしているのではないか、と思います。
 
 
 
 
転ぶことが怖かったから身体が止まってしまっていました。
これは自己啓発でも同じです。
失敗するのが怖くて、無意識にブレーキをかけてしまっています。
こちらが止まってもまわりは止まりません。気が付くと、まわりに倒され、がっかりする、そんな連続だったことがわかります。
 
 
 
 
身体が転ぶこと、失敗することを恐れなくなると、それまで学んできた知識が理解できるようになりました。
知識を得てもうまく使えなかったのは、自分が怖がりだったからです。
その怖がりを持ったままではどんな知識も使えるはずありません。
 
 
 
私の場合はイメージトレーニングをするのではなく、逆にイメージを作らないようにする方法が必要だったみたいです。
結果的に「正しい」と言われていることすべての逆を行ってきました。
 
自分が「できる」とただ信じるのではなく、今のままではだめだ、と疑い、新しいものを探し続けました。
うまくいったとしても、ポジティブにならず、まだまだこんな事では、と探し続けました。
 
 
 
結果として手に入れた力は「研究する力」です。
答えばかりを探していましたが、本当に役に立つのは研究する力でした。
そして、これは永遠に好奇心を失わないですむ力とも言えます。
 
 
 
良く動く身体があれば「どんな教えも正しい」のです。
 
 
今、すでに教えや知識を持っている人はいったんそれを横において、すぐさま、身体の感覚を観る稽古を行う事をお勧めします。
 
人間は歳をとります。老いるのです。
今、できない事が将来勝手にできるようにはなりません。
ただ、自分の身体の変化を数字ではなく、感覚的に見れるようになると、「同じ言葉」から「違った思い」を得ることができます。
 
出来なかったのは教えが間違っていたのではなく、自分が勘違いをしていただけだ、と気付くはずです。
 
 
 
 
感覚は目に見えません。
感覚がなくても、暮らしていけます。
むしろ、機械に任せたままのほうが楽に暮らせる時代です。
それでも、私は感覚を探る生き方を勧めます。
便利になり、いろんな事が出来ても、絶対にそれは飽きます。
しかし、自分を探る生き方に飽きは来ません。
探っていく過程でいろいろな事に気付きます。
そこで気付くことは書店でも、セミナーでも、インターネットにも見つからないことです。
自分の事は自分でしかわからないのです。
 
 
 
 
身体は数字ではありません。
身長体重、診断数値や記録、それらはちょっと、横に置いておいてください。
自分がいま、なにを感じているのか、ちょっとずつ、気持ちを向けていってください。
そのためのお手伝いなら喜んでさせてもらいます。

ダメはどこまでいってもダメである。

なにかをうまく生かせるために何より必要なのは自信です。
もし、自信がないままうまくいったとしても、次、うまく行かないかも、という不安が生まれてしまうからです。
 
 
そして、最強の自信は気にもとめない自信。自信が有るかどうかすらわからないほど気にしていない状態。自信という言葉も似合わないような状態があります。
そんなところにまで意識を高められたらいいですよね。
 
 
 
一生懸命努力する、がんばる、という言葉はアチコチで聞きます。がんばりません、とあくびをしながらオリンピックに出場する人はいません。努力は現代を象徴する言葉です。
 
しかし努力は全てではなく、一つの方法です。努力をしたい人はすれば良いし、それができる世の中です。
ただし、努力が似合わない、と思った人は無理してやってもしかたありません。自分に似合う方法があるのですから。
 
 
 
しかし、そんな自分に合う方法は外にはなかなか見つかりません。
世の中は常識が強くなりました。世界中どこにいても、同じ情報を共有できます。ひとりの成功者が多くの人の憧れの的になります。その人の言葉をきき奮い立たせられると、つい、同じ方法を行ってしまいます。
 
 
 
例えばこの時、憧れのカリスマがひたすら人生の全ての時間をかけてなにかを成し遂げると、自分も時間をかけたくなります。
他にやりたいことがあっても、我慢をして、努力してしまいます。
 
しかし、これは、表面的な事だけ。
同じように時間はかけていても、一方は我慢して、もう一方は結果的に、時間をかけていただけかもしれません。
同じ時間であっても、苦痛の時間と、楽しみによって時間が消えていた場合とでは成果は違って当然です。
 
自分に合う方法を見つけなければ、結果的に大変な遠回りとなってしまいます。
 
 
 
最近、私は人は「攻撃型」と「防御型」に分けられる、と気づきました。
私は完全な防御型です。ものごころつく前から、まず守り、それから反撃、と教わってきましたから。
 
しかし、学校や仕事、日常という常識の中で学んできたのは攻撃型の生き方でした。
その違いに気づけなかったので、時々、そのギャップに躓いてしまっていたんだ、そうわかりました。
 
 
 
スポーツの世界は攻撃型です。攻撃をして、点を取らなくては優勝出来ません。
しかし、武術の場合、命を守る、という点からすれば危ない機会を避け続ける事ができればそれが一番の正解とも言えます。
 
 
 
西洋的な考えでは自己主張をし、他者を倒し、願いをかなえることを良しとするかもしれません。
しかし、周りを気にせず、振り回されず、ニコニコと毎日を暮らしても良いはずです。じっと目を瞑り、瞑想をする。一人の世界を作り上げる事も方法の一つです。
 
 
 
あらゆるものには真逆の成功があります。
そのどちらに行きたいのか、それを決めなければ間違ったところに行ってしまったときに待っているのは天国ではなく地獄です。どんなに他人から、いいね!と言われようが自分の居場所ではない、と気づいてしまうと逃げ出したくなります。
 
 
 
最初の一歩を見るには大きな成果に惑わされない心が必要です。
今、大きな成果が誰の前にも有りますよね。これを見ない事が本当に難しい!
 
便利な機械なしでは今の世界は成り立ちません。魚を釣って食べていただけの時代とは違います。
便利な機械、仕組みを嫌って、山にこもる、という事ももう出来ません。どんな山にこもっても、周りには恩恵を受けている人たちがあふれています。
 
 
 
身体感覚は小さなものを見る目を与えてくれます。
最初の一歩を見ることが出来るようになります。
最初の一歩という答えをくれるのではなく、その時、その瞬間の自分の最初をいつも、追い求めさせてくれるのです。
最初の一歩がドンドンバージョンアップされるんです。新しい最初の一歩を見つけた瞬間、心は変わります。自分のやりたいことにあわせて、気持ちの方向を揃えてみると、自信が沸いてくるのです。
 
 
 
今、これを書いている私は「攻撃型」です(笑)。
武術のお陰で無限にアイデアが沸いて出てくる、という武器を手に入れました。
成果を上げることは上手になっても、自分のやりたいことを見つける力をなくした人がいます。
どんなに成功しても、その先にあるのは不幸です。
 
私が手に入れた武器は求めれば必ず答えの得られるという武器です。自分の中からひらめきは出て来ます。
 
自分が本当にやりたいことは何だろう?
 
そんな問いを立てれば答えは出て来ます。答えは五分後にやってくるかもしれません。10年後、20年後かもしれません。
時間はわかりませんが、間違いなく答えはやってきます。
そして、稽古という研究を習慣にしたことで、答えを待っている時間も楽しいものとなりました。
 
 
 
常識的に楽しいものを楽しむのは簡単です。
それにくわえて、病気やケガ、アクシデントなどで人生を迷ったとき、そんな時にも楽しめる事ができるようになりました。私が手に入れたアイデアがあふれてくるという武器は心に、楽しさ、安心を生む防具でもあったようです。
 
 
 
日本人は武器と防具を同じモノとして育ててきたように思います。
片刃の剣を両手で持つ。西洋のように、頑丈な剣も丈夫な盾も鎧も作りませんでした。
薄く細い刀だけで攻撃も防御も行ったのです。
 
常識では考えられない方法で薄い刀に身を隠しました。こんな防御法、ありえません(笑)
 
 
一器多様、一つのモノをアイデアを使い、生活に合わせる。それこそ、日本人の強さのような気がしてなりません。
世の中が西洋化していくのは否定しません。新しいものが増えていく楽しさが得られます。
しかし、社会が変わらなくても、新しい使い方が増えていくのも楽しいのです。
これも、最初の一歩が2つある、という強さです(笑)
 
 
嫌いなものを嫌わずちょっと試す、そんなところから始めてみてください。

カラダラボウェブサイト

本当にやりたいことに出会うためには。

世の中は便利になって、自由になって、やれる事は増えたけれども、それが本当にやりたい事かはわからないものですね。
 
テレビや雑誌、こちらから見れば夢を叶えたような人であっても、そこに満足せずに今を投げ打って新しいものにチャレンジする人もいます。
チャレンジは見ていて楽しいものですが、本当にやりたい事に向かわず、そこに居続けることで魅力を失えていく姿を見ていると、少し、辛いです。
 
 
 
本当にやりたいことは何だろう?
多くの人が「頭」で考えます。
多くの人が考えて、ちゃんと答えに向かえればいいですが、どうやら、これだ!という答えは見つかっていないみたい。
本当にやりたい事はなかなか見つからない、私はずっとそんな思いでいました。
 
 
 
先日の稽古で「立つ」事の理解が広がりました。その結果、見えてきたのは、本当にやりたい事の見つけ方です。
本当にやりたいことは命が尽きる瞬間でも行いたい、と思うことなのだ、そう感じました。
 
それに気づいたきっかけは肺を半分にし、胃を半分に、心臓を半分にしたとしたら、その瞬間、立っているのも精一杯だろうなぁ、と研究しはじめた事です。
「立つ」という事を本当にやりたい事として表現できた実感があったのです。
 
 
 
武術ですから、自分勝手ではいけません。
目の前に敵がいます。敵がコチラに攻撃を仕掛けてきます。その攻撃をどう受け入れるか、それを考えなくてはいけません。
 
本当にやりたいこと…を考えてうまく行かないのは自分勝手に自分の事だけを考えるから。おそらく、周りにいる他の人も本当にやりたい事を求めているのでしょう、無意識の中で。そこに衝突が生まれ、より強い意志を持った人の本当にやりたいことが現れます。
 
武術は常に相手との共同作業です。
「立つ」という事を本当にやりたい事にするために、まず、「立てない自分」を作りました。
これまで考えたことのない肺や心臓の事を考え、これらが働かなくなったときの自分を想像します。この想像、イメージが内観的な稽古のお陰でリアリティを持ち出したのかもしれません。内臓を弱くする事で意識の中で「立てない自分」が生まれました。
 
この時、他に力がなければそのまま倒れるだけですが、この時、気力が残っているのではないかとひらめきました。
息をするのも精一杯、これは「ドン底」です。
ドン底なのにさらに怖い、というのは本当のドン底ではなかっただけ。
本当にドン底にいたら、相手がいくら邪魔をしてこようが気にする余裕がないのではないか、そう思えてきました。
 
 
 
そういう気持ちで立ってみると、相手がいてもいなくても、自分の意識はひたすら、足元です。バランスを取ることに専念します。
それが気力のようなもの。形としてないけど存在している力です。
その力はバランスを取るだけ。それを動かしてみると、結果的に身体全体が動き、技になる。そんな仕組みを自覚しました。
 
 
 
仕組みがわかれば後は応用。
運命として、人生の中でその仕組みを使うにはどうしたらいいのか考えたくなります。
本当に自分のやりたい事とはなんだろう?
その問い持ったとき、命を意識しない状況ではだめだな、とわかります。
しかし、今の私はそんな命の危機はありません。ただ、稽古でなら内観力を育てる事ができます。少しずつ、身体を手放すことにリアリティを持てば、本当にやりたいことの「精度」が上がるはず。
本当にやりたい事が見つかるかもしれない、それがわかったので、それを、求めること。これも研究の一つになります。
 
 
研究を癖にすると、安心はありません(笑)
わかっても、また、次のレベルを求めるからです。
これを楽しむために稽古があります。ぜひ、一度、お試しください。

自分を変えるきっかけ。

学校卒業、入学、進学、就職、恋愛、失恋、結婚、誕生…生きている間にはたくさんのイベントがありますね。
そのイベントをきっかけにして「変わりたい」と思う人、実際に「変わった」人、いるかと思います。
イベントが起こると環境が変わるので、その力を借りる事で「変わるぞ!」と強い気持ちが出るのでしょうか。
 
 
 
私はそれらのイベントでは変わらなかった人。いつも、こんな自分は嫌だ、と、変わりたいという気持ちはありましたが、自分から変化に踏み出すことなく生きてきました。
 
でも、今は信じられないほど変化を受け入れているなぁ、と思いました。
身体の感覚を探り、新たなものを見つけ、それを基準にすると、難しかった事が簡単に見え、嫌いなもの、避けたいものが受け入れられるようになります。
イベントで変わるのではなく、身体で変わるのです。
 
 
 
この方法はとても大きなメリットがあります。
それは毎日が新しい自分になるチャンスになる、という事です。
入学や卒業などのイベントは節目にしかやってきません。毎イベントを逃さないように意識するのは少し、疲れそうです(笑)
しかし、身体を見続ける事はいつでもできる事です。
そして、突然、新しい感覚に気づいたりするのです。
 
 
 
もしかしたら、その変化はイベントでの変身よりも小さなものかもしれません。
新しいコーヒーの飲み方を見つけても、それほど、人生は変わらないかもしれません(笑)。
しかし、その変身の積み重ねが変化に強い自分を作ります。
積み重ねることによって、それまで、見逃していた小さなものを見つけやすくなるかもしれません。
変化なんてしたくない、今、絶好調で強い自分を感じている人はそう思うかもしれません。
しかし、人間は誰もが「老います」、変化をきらっても必ず、変化はやってくるのです。
 
 
 
先日、病気の事を聞きました。肺を切除するかも、というお話です。
また、心肺停止にもなった、という、話も聞きました。病気について考える機会の多い一週間でした。

そして、ふと、思いました。
今、自分がそうなったらどうだろう?
病気を嫌うのは簡単です。命に関わるものならさらに、です。
しかし、物事には嫌なものだけではない、という事を稽古は教えてくれました。
命に関わる病気を通して、それを心から望める気持ちになるには何かないだろうか?と問いが生まれます。
 
 
 
問えば応えてくれるのが私達の脳。それを助けるのが身体です。
今、大切にしている術理は「折りたたむ事」、これは「手放す事」と同意です。
身体を半分手放せば、心配もなくなり、新しく前向きな気持ちが増える事がわかっています。

肺を切る、胃を切る、心臓の力が弱くなる。内臓を「半分」手放してみたときの事を想像すると身体がぎゅ、と小さくなる感覚を受けました。
小さくなる感じが、折りたたみによって生まれる心配の無さと似ているんです。
 
 
 
病気になろう!とおもってもなれないのが人間の不思議。
薄着で寝て、朝方の寒さで風邪を引くこともあれば、真冬に裸で外に出ればより、健康になってしまったりもします(笑)
ただ、手放すことを身につければ、小さくなる、失う、弱くなるという方向にも光が見えそうです。
 
こんな考え方が出来るようになったのはまさに、稽古、研究のおかげです。
命に関わる病気になるにはもう少し時間があると思います。それまですっと、問い続けて行くつもりです(笑)

世の中をシンプルに考えるコツ

たくさんの知識を持つとたくさんの選択肢が生まれてきます。
たくさんの経験はたくさんの見方を作って、迷いも生みます。
子供の頃は皆、素直でシンプルです。私たちはいつの間にか、大人になって世の中を複雑に考えてしまいがちです。

どうしたら子供のように考え、行動できるか?

いつの間にか、そんな事を考えるようになりました。
 
 
 

複雑なものは価値があるように見えます。
機械なんかはそうですね。
成功している人の話はシンプルなものとテクニカルなものとに分かれますが、人気があるのはテクニカルなもののようです。
手順を踏めば自分にもできるかもしれない。複雑であればあるほどそんな気持ちにさせてくれます。
手順を踏める才能があればよかったのですが、私はいつも途中で躓きます。

そんな失敗を積み重ねたおかげでシンプルなものに希望を持つしかなくなりました(笑)
 
 
 
私が追究している身体はシンプルです。
この身体を前後、左右、上下にどう動かすだけかを考えています。

例えば苦手な場面に遭遇したとき、普通はその苦手を解決する答えを求めます。でも、私はとにかく、身体だけを考えます。
嫌なものと向き合い、負けてしまっているから気持ちが嫌な方へと向かいます。
この時、ほんの少し、前後左右上下に動かせば嫌が嫌でなくなる、それを何度か経験したおかけで身体の動かし方だけに集中できるようになりました。
相手は関係ないのですから、とっても楽です。
 
 
 
嫌な相手は悪者です。
悪をそのままにするのは理不尽ですから、頭には怒りが出てきます。
しかし、相手を変えるのは簡単ではありません。ケンカは同じレベルの間にだけ起こる、というのは本当の事です。
自分を動かす事で気持ちが変わる。心身一如を身体の方から行える、とわかると、まずは全力で自分がやれることをやればいい。それで物事が停滞せずに一歩先へと動きます。
 
 
 
最近、前後左右上下に加えて新しい要素が見えてきました。
それは自分の「大きさ」です。
リアルな自分の身体の大きさは瞬間的には変わりません。しかし、内観的、感覚的には小さくできる、それかわかりました。

左右の身体を折りたたむ。すると、意識的な身体の幅は半分です。
これは私が無意識に怖れをたくさん持っているからかもしれませんが、気にしなくてはいけない身体が半分になると、怖れも半分になり、その分、前を向く意識が増えてくれるようです。
実際の身体もバランスを左右のどちらか「だけで」取るようになり、重心のキャッチボールがなくなります。

「迷う」という行動は多くの場合「左右」です。
どちらにしようか、知識があればあるほど迷ってしまっていたのは、身体が左右へと動きすぎていたからです。
 
 
 
夜眠るとき、横になり、意識を内側に向けます。
左右を半分に、そして、上下も半分にします。寝ている姿勢は仙骨を腰椎五番に密着するように折りたたむと、上半身の動きが良くなります。呼吸が深く、大きくなる感じがあります。無意識に下半身の事を考えているのですね。
そして、お腹を背中に貼り付けるようにすると前後も半分です。
普通の動きの中ではまだこれほどの余裕はありませんが、眠るときのようにリラックスできる場所なら、ずいぶんと想像力を働かせられるようになってきました。
 
 
 
無意識領域を理解するのに睡眠は非常に大切だ、と言われます。
多くの流儀で眠る時には「赤子のように」と言われているのも無関係ではないでしょう。
理屈はわかっても、身体的には子供に戻れなければ無意識の力みが夢見を悪くするかもしれません。
夢の世界の話はまだまだ、答えの出ない領域です。だからこそ、自分で研究する事が必要になります。

夜眠らない人はいません。
毎日眠るのです。眠るとは何だろう?そう思い求めるのも運命とはなにか、そこにヒントをくれる気がします。

良く効く願いの立て方

身体を研究するようになって、たくさんの事に気付くことができました。

納得を求めると外に答えはありません。自分の心が納得するには自分の中から答えが出てこなくてはいけません。
 
お金で願いが叶うなら簡単ですが、納得は誰も助けてはくれません。
 
 
 
しかし、この困難な願いが次々と叶い、自分の動きがどんどん良くなっていくのです。
アイデアを出すのが苦手だったのに、どうして、こんな事になったのだろう?良く考えます。
昨日、ひとつ思いついたことがありました。
それは「良い願いの立て方」と「良くない願いの立て方」がありそうだ、という事。
 
 
 
最近できるようになった動きに「振り回す棒を怖がらないでいられる」というのがあります。
30年ほど前からずっと考えてきたことです。
どんなに段位が上がっても、賞をとっても、相手が武器を持って襲ってきたら「怖い」んです。
その怖さがあると身体が緊張し、持っている技がでません。
まわりを見ても、武器を相手に軽やかに、そして、平常心のまま動ける人はいませんでしたし・・・。
自分の練習している技はそんな無力なものでしかないのだろうか・・・と、密かにずっと、思っていました。自信の持てなかったのはこれが理由だったのかもしれません。
 
その難問にヒントが出てきたのがつい先日。
身体を半分に折りたたむように使えば怖さがなくなる、これが答えでした。
 
 
 
なぜこの使い方に気付けたのか。
この技ができるようになる前に、身体が「前進」している術理がありました。
そして身体の前進を足裏に応用すると足裏が床に「密着」が生まれました。
その密着を左右の半身に応用したところ、身体が折りたたまれる感覚を実感したわけです。
ひとつひとつの発見でやれる事が増えていきます。
そのできたことを「ベース」にして「次の動き」を期待するのです。
この流れが非常にいい!
才能のなかった私が動きを変え続けてこれたのは、いつも、ちょっと難しい問題に向き合えたからに違いありません。
おそらく、無意識の中で「ここまでできているのだから」、と気持ちが前を向いているのだと思います。
あと「少し」だと思っていると、ほんのわずかな感覚によって動きが変わります。
自分が求める事が願望になりますが、今の自分の持つできている部分、持っている部分を大切にして願いを立てることが大切なのかな、と気付きました。
 
 
 
例えばいきなり、「空を飛びたい」という願いを立ててもちょっと、どこから手を付けていいかわかりません。
むしろ、その時、無意識には「空を飛びたいと願ってみたけど、自分には飛べないのではないか」という気持ちがありそうです。
もちろん、その前に飛べる気配すらないのですから、「前も飛べなかった」がベースになります。その飛べなかった自分が飛べないかもしれない、と願うのですから、、飛べないかもしれないという願望は叶う事になります。
 
 
 
自分の良い部分、自信の持てる部分をちゃんと見る、これが一番難しいのかも知れません。
いままで、なんとなく、適当に願望を作っていましたが、ちゃんと言葉を作らないと、無意識に自分を振り回されてしまいそうです。
自分が「できる」という気持ちをどう持つのか。
やはり、問題の解決は外ではなく、内側に、自分自身にある事を再確認しました。

知る、わかる、できるへのレベルアップ

昔、マニュアル本にはまったことがあります。

「本」を読まない生き方をしてきたので、あまり、知識を増やさないまま大人になりました(笑)。
 
 
 
大人になるまではただ、なんとなく、目の前にある楽しいことで暇を潰せばよかったのですが、さすがにそれではダメだろう、と心に危機感が生まれてきます。
うまくいかない経験をすれば、それを何とかしようと思うようになりました。
そんな時、書店にはたくさんのマニュアル本がある事を知りました。やっと(笑)。
 
 
 
このジャンルの本は今でも大きなスペースを使い、売られていますから、多くの人の興味を引き付けるのでしょう。
そして、そのマニュアルの細かさといったらものすごいです。
 
どうしていいのか、わからない!
 
そんな悩みを持っている人ならば、その書店の一角に行けば、必ず、解決してくれそうな一冊と出会うはずです。 
 
 
 
本を読めなかった人間が知識を得る。
もう、これだけで自分が成長した気になります。
数年間はそれで楽しかったのですが、どうも、ちょっと、違うな、そんな気持ちに襲われました。
 
 
どうやら、どうすればいいのかは「わかる」けれども、実際には「できない」という自分を見つけ、板挟みになりました。
ただ、今のように全体が見えているわけではないので、その不満を解消するために、また、本屋へと行くわけです。
 
 
 
新たに自分の中に生まれた悩みを解決してくれるものはないかなぁ、と。
そして、それを思い、探せば、やはり見つかります。
新しい本を買って数日は気分がいいんです。
 
これで、自分は変われるかもしれない!
 
そんな気分になる事が出来ます。
しかし、実際にはまた、おかしいなぁ、という気持ちになり、また、書店に足を運びます。
 
 
 
もしかしたら、こんな事も本が好きになるきっかけになるかもしれません。
でも、私は相変わらず、本が苦手です。
古典や小説に興味は進みませんでした。
 
 
 
知識を得て喜ぶことができました。
その知識の理屈がわかり、なるほどと思えます。
しかし、実践をすればそれがうまくいかないのです。
 
そして、最初に戻ります。
今の状況を解決する方法を探します。その繰り返しでした。
繰り返しをしていってさらに、知識は増えるのですが、やはり、最後の「できる」をクリアするのが本当に困難!
どんどん自信がなくなりました。
 
 
 
知識が増えているのですから、これはこれでいいじゃないか、と思う人もいるかもしれません。
でも、私は「わかる」、という事よりも「できる」事にこだわっていました。
 
どうしたら、できるようになるんだろう・・・。
 
 
 
その悩み、疑問に対して納得できる答えは書店、ネットを探しても見つかりませんでした。
努力すればいいとか、願えばいいとか、運命は決まっている、など、いくつか答えは得ましたが、どれも、信じられなかったんです。
 
 
ただ、私は運が良かったのです。
たまたま「身体の感覚」を探すという事を楽しみにする事が出来ていたから。
身体感覚の世界は不思議です。
そして、何千年も前から、世界中でこの身体の不思議さと、秘めた力を得るための工夫、研究が残され、伝えられてきます。
ひと昔まであれば絶対に聞くことができなかったであろう秘伝も簡単に手に入れることができるようになりました。
 
この世界も知識を得るとやはり、楽しいです。
たくさんの方法を学ぶと、自分が変われる、変わった気持ちになれます。
しかし、ここでも、また、「できない」という壁に当たります。
ただ、世の中はルールを作り、環境を変えることで楽しさを競い合うようになりましたから、出来ない、という壁は見えにくくなりました。
 
たまたま私はそのルールを外しながら自分の身体の可能性を探す楽しさを得ていたのです。
この楽しさはまさに、わかることをできることへと変えていく作業だったのです。
 
 
例えば両手をぎゅっと抑えられる。そして、その手をいかに上げるか。こんなことを繰り返して、身体の不思議を追っています。
これを行うためのコツはいくつもあります。
腰を落としたり、手を体側につけたり、相手の弱いところを責めたり、心理的なトリックを使う方法もあります。
新しくなにか見つかれば手は上がります。
抑える相手はそのコツがわからなければ、ずっと、やられっぱなしになります。
 
しかし、そのコツが明確であれば、それを伝えた瞬間、また、しっかりと手を抑えていく事ができます。
競技としての勝ち負けを第一目的とするならば、このコツこそ秘伝になりますが、私は研究が第一目標。
見つけたコツはすぐに、全部、相手に伝え、抑えてもらうようにします。
 
言葉にすれば簡単なことですが、こういう稽古はほとんど、行われません。
多くのできない人がいるから、組織が維持されていくんですよねぇ・・・。
 
 
 
たまたま、普通ではない楽しみ方を知って、少し、長く時間を費やしたので、いつの間にか、それを習慣として身につける事ができました。
この感覚がまさに、わかるをできるに変えること、とわかったのです。
 
なにかを求め、答えを求め手に入れた「後」、いかにそれをできるようにするか、です。
ポイントは「できないと思った瞬間」です。
失敗だぁ、と思った瞬間、その原因をどこに見るかです。
 
 
 
失敗と思った瞬間、無意識は答えを探します。
この時、「外」に答えを探すと、外に答えが見つかります。書店に行って気になる本と出会うというのはこれ。
でも、もう一つ、方法はありました。私を救ってくれたのは「内」でした。
 
失敗した瞬間、その方法を変えずに、それをやりきれなかった「自分」を追うのです。
自分の内面をとにかく納得のいくものとする。それを追求し続けます。
 
失敗という状況はほかの誰かからみたら、失敗にならないかもしれません。失敗と決めているのは自分です。
失敗をして、気持ちを落とせば、目的地へと進むスピードが落ちます。諦めてしまい、目的を失うかもしれません。
しかし、失敗で気持ちが落ちなければ、ちょっと先へと進むことができます。
身体感覚の追及はそれを楽しくさせてくれたので、気が付けば、内面を探る力を得ることができたようです。
 
 
 
内面を探る方法として、ヨガや座禅、瞑想など、沢山あります。
その方法として書籍もあるし、セミナーも数多くあります。
ただ、世の中、その道の専門家であるお坊さんだって困っている時代です(笑)。
どの方法も言葉になったり、流儀流派となってしまうと、もう、それは「外側」です。
なんでもいいから、試す方法は学びます。
後はそれをひたすらできるように、自分の「内側」を追い続けます。
疑うのは手順ではなく、自分です。
ただしこの時、自分の中になんでもできる、という確信も必要です。
 
身体感覚の研究で得たなによりのものが、これ。自分の中に潜んでいる無限の可能性を確信できた事かもしれません。
 
 
 
今、これを読んでくれているあなたは自分の中に無限な可能性を信じる事ができますか?
多くの人は老いることで、さらに自信をなくします。
しかし、感覚を手掛かりにしていけば、姿勢を作る精度が上がり、どんどん、身体を楽に動かすことができるようになります。
実際に手を合わせればそれを五感を通して伝えられますが、ここでは文字だけ、皆さんの想像力に任せるしかありません。
ぜひ、ご自身の持つ、可能性を信じ、自分にはできるはずだ、と工夫、研究を進めてください。なにかを変えれば、結果は変わります。変える力を得れば、目的の場所へと近づいていく事が出来ます。
 
試行錯誤を楽しんでください。

運命を変える力を手に入れる前に

書店に行けば運命を変える本が山ほど並んでいます。

昔から世界中で運命を変えるために行われていることがあります。現代はそれらの一つ一つが一つの本になり、私たちの目の前にあります。しかも、私たちの前にはインターネットまで・・・。
あまりにもたくさんの「方法」があり、自分にあったものを探すだけでも大変な苦労になりました。
私がこのブログでお渡しするものは常識的な方法でうまくいかなかった人たちへの答えです。
現代だからこそ、生まれた落とし穴です。今、最高に便利で、安全な日本に暮らしていると自然に忘れてしまうことがあります。
 
 
それが身体感覚です。
 
 
身体感覚を手掛かりにすれば、運命は変わります。なりたい自分にどんどんと近づいていく事ができます。
最初、身体と運命はつながりを持ちませんでした。別の問題だと思っていました。しかし、どうやら、自分の中に生まれる感情や信念はその身体感覚によって生まれてくることがわかったのです。
身体感覚の世界を知って20年が過ぎましたが、いつ、それに気づいたのかよくわかりません。いつのまにか、当然の事として私の中では出来上がっていました。
20年もすぎると、人生の中でたくさんのイベントがあります。結婚もしました。子供にも恵まれました。そして、子供達は成長していきます。そして、父も突然なくなって・・・。
きっとこれからもたくさんのイベントがやってくるはずですが、その時に絶対の目安になるものを見つけたので、怖さがグンと減りました。頼りにすべきものは外ではなく、内側にあったのです。
 
 
 
身体感覚の自覚をすれば、時間と共にその感覚は広がっていきます。しかもそのスピードは指数的です。ちょっとずつではなく、一気に。
もし、観念的に強いものを持っていれば、それが勝手に叶って行きます。
 
 
 
ここに、怖さがあります。
願望を実現させる人は確かに存在をしています。
しかし、そんな力を持ちながら、幸せになっているかといえば疑問です。
実は、願うものを間違っているから。
 
 
 
願望をかなえていく力は身体感覚と合わせて探していくととてもわかりやすいです。
自分が「そうなる」といかに信じられるか、ですから。
しかし、その願望自体がいい加減であれば、その先に楽しさ、幸せは保証されません。
 
 
 
例えばお金持ちや金メダルはわかりやすい願望です。
親がそちらを勧めれば子供にだってそれは目標になります。
しかし、その願いが達した後、大丈夫かがありません。
 
身体の感覚は非常に面白いです。
どんなに「大丈夫」と思っても、ちょっと刃物が出てくれば心配になります。もし、気力が大きく、動揺しなくたって、刃物が肉へと入って来れば普通ではいられません。
この時、動かない力と動く力の両方が必要なんだ、とわかります。
 
 
 
実は「運命」に特化してブログを再開することにしたエネルギー源がここにあります。
自分の中に動く力を見つけたからです。
この動き方も努力、訓練をして身につけたものではありません。ずっと、昔からこの身体には備わっていました。
しかし、未熟な私はまず「動かない力」を求めたのです。
 
動ける力に出会うのに20年超ですから、私が持っていた才能なんてゼロです。
しかし、これもこうして人に伝える時にはそれが自信になります。身体を感覚的に見続けて、時間をかければ、必ず、たどり着くもの、とわかったからです。
 
 
 
欲しいものは頭に浮かぶと思いますが、本当にそれでいいのか、その願いがかなった後、自分の愉快さ、幸せはなにが生み出すのかをぜひ、考えて下さい。
人間の持つ「慣れ」の力はものすごいものです。
どんなに夢のような事であっても、その場所に立ち、受け取ればすぐに、当たり前になり、退屈がやってきます。
その退屈を追い出す方法、愉快さを生み出す方法も私は頂きました。
ブログでどこまで伝えられるかはわかりませんが、お付き合いをして頂ければ幸いです。
 
もし、ご質問等があれば遠慮なくください。
その質問からまた、新たな発見につながります。
質問は下記のアドレスまで。

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