ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク
現代は目に見えないもの、数字として測定できないものはどんどんと排除している感じがありますね。
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現代は目に見えないもの、数字として測定できないものはどんどんと排除している感じがありますね。
なにかを学ぶと賢くなります。今はそれをどういう時に、どんな風に使えばいいのかも丁寧に教えてくれますし、ロールプレイを通して実践練習もできます。
資格を取ったときにはこれで未来は明るい!そう思えてきます。
そしていざ、実践へと向かったとき、明るい気持ちがなくならなければそのまま望み通りの成功へと行くことでしょう。
しかし、たいていの場合、学んだものはそのまま使えません。
どうやらこれは当たり前のことなのですが、丁寧に学びすぎてしまうと、それがわからなくなります。
そして、その後、その困ったことを解決するためにエキスパートコースなんかに通ってしまうともう、自立するチャンスを失ってしまいます。
自分の持つ技をどう使うかは、自分の性格によって決まるからです。
強気な性格、弱気な性格、臆病な性格、色々ありますが、外と内、とりあえず、簡単に二つにわかれます。
自分を信じられるのか、疑うのか、です。
疑ったまま、新たな知識をいれても選択肢を増やすだけ、また、迷います。
ただ、こうして、また、受講生になってくれるとスクールとしてはありがたいものです(笑)。
なかなか、この壁は越えられません。
すべての知識は自信を作るためにあるのではないか、そう思うようになりました。
自信が持てさえすれば、なんとかなる、乱暴ですが、そう思えて仕方有りません。
そして自信の源こそ、「身体」です。心はコロコロ形を変え、自信のある時、自信のない時、色々です。病気になれば普段自信があっても、心は落ち込みます。
しかし、身体は自覚したところまでは絶対の自信が生まれます。ケガをしても、病気をしても、それは、当たり前の一つ、それにより自信がなくなることはありません。
むしろ、そこから「上がる」自分を見つけられるので、気分は良くなります。
しかし、自分の身体を数字で見てしまうとそれはアタマの自分であり、自信につながりません。
数字は一つのルールに沿って生まれたものです。肉体の衰えと共に落ちていくのが自然です。
身体感覚の自分はあらゆる方向へと「動ける」自分です。
目の前に壁があれば、それを様々な方法で乗り越える事ができると見せてくれます。
絶対にもうこれはダメだ、と思うような状態でも必ず「次」があるのですから本当に面白いです。
最近見つけた新しい身体は「嗅覚」の自分でした。嗅覚から感じられる身体はモヤモヤとした雲のよう。その雲は存在は感じられるけど、形がないので、相手との衝突がありません。抑えられても、するすると、細いところを通り抜けていけます。
嗅覚の身体にならなくては決して見つからなかったルートです。
この身体感が生きていくときのベースになるのではないでしょうか。
筋肉を鍛え見かけ上頑丈になれば、多少の衝突は怖くなくなります。しかし、より大きな相手にやられてしまいます。
身体が柔らかい人はその柔軟性ですり抜けていくかもしれません。その時、固い身体か、雲のような身体か、無意識にそれがベースとなります。
人間は歳をとります。年代によって身体は変わるはずです。
筋肉が強い時もあれば、肉体に頼れない時もあります。どんな状況でも何とかなる、と、新しい価値観を教えてくれるのが稽古です。
おそらく、昔は経験の中で新しい自分を見つけていたのでしょう。危険な状況が日常的にあったはずです。
しかし、現代は安全が第一。しかも、働くのは機械です。活動の場もネットの中に移ってきてますし、肉体的に危険を感じることが少なくなりました。
その結果、身体の多様性、可能性を知らないまま歳をとります。
どう考えても、努力による訓練は若者向けです。一時の楽しさはありますが、それで心は強くなりません。
肉体が衰えることを嫌だと思わず、少しずつ、観察を始めてみてください。
口内炎でも、ニキビでも、少し気になるところからそれと向き合うことを始めてみてください。
向き合ってみれば、そこから、新しい考え方が出て来ます。
嫌な考え方が出てくるかもしれません。でも、さらに、考えます。するとまた、新しい考え方が出て来ます。
出来るならば、動きとともに考え、考え方次第で動きが変わることも知って欲しいところですが、まずは、向き合うところからはじめてください。
新しい知識はもう要らないかもしれません。知識によって振り回されている自分が見つかるかもしれません。
手放すために時間はかかります。それでも、嫌なものに向き合う作業、姿勢が徐々に自分を信頼する力へと変わるのを感じることができます。
嫌なものの中にありがたいものを見つけられれば気分はずっと良いままでいられます。自分勝手で良いんです。間違えても良いんです。どれだけ頭が間違えても身体はなくなりません。常に身体はなにかを教えてくれようとしています。ぜひチャレンジを。
何かを願ったとき、同時に、出来るかな?とプレッシャーを感じるはずです。
もし、プレッシャーを感じないなら、その願望は願いと言うよりも、計画、予定に近いかも知れません。予定や計画ならプレッシャーは要りませんから。
自信をなくすと、ついつい、余裕のある願望、つまり、計画出来る程度の事しか行動を起こさなくなりかねません。
本当はもっと、自分には出来るのに、自分で、行動を狭めてしまいます。
稽古をする事で「プレッシャー」に対して慣れることが出来るようになります。プレッシャーについてよく分かるようになるからです。
稽古ではいきなり空を飛べ!という願いはたてません。今出来ることを少しだけ伸ばしていきます。外に大きな目標を持たず、ひたすら、内に意識を向けます。
内面に意識を向けても、それを「やれないこと」と自覚していると「プレッシャー」が生まれます。
稽古は研究です。使えるものは何でも使います。このプレッシャーも使うことが出来ないか?そう考えました。
探せば見つかるものです。プレッシャーは上から下へとのしかかってくるものでした。そして、その力は足下にある地面に「跳ね返って」来ていました。
上からの力にそのままのるのは難しいですが、下から跳ね返った後の力であれば乗ることができます。
大きな願いを立てたときにもこの経験は生かすことができます。
何かを願う。その時、プレッシャーが生まれるのは「当たり前」です。プレッシャーは願いとセットなのだ、とわかれば最初に出会ったプレッシャーに反射的に行動を止められなくなります。
むしろ、プレッシャーがあるから、強い行動にもする事ができます。
どんな願いがあっても、行動に移すことがなければ、運に頼るしかありません。しかし、現代は運という不確かな要素がドンドンなくなっています。行動する力を高めることこそ、運命を自分のものとする近道ではないでしょうか。
ちなみに、プレッシャーの力、上下の力は下駄を履くとよくわかります。冗談みたいなホントの話です(笑)
本当に、これ、試してもらいたいです!日本人の叡智です!
もし、この世界が無重力だったらどうなるんでしょうか?
いきなり変な事を聞きました。そんな事、あるわけありませんよね。
それでも、ちょっと、考えてみてください。
無重力の状態はどれも、居場所がない状態です。どこに何があっても許される状態といえます。
しかし、私達の世界には重力があり、モノの位置、自分の位置が決まっています。
決められた場所から動かされればすかさず注意を受けることもあります。
あまりにも、当たり前な「重力」。機械がなかった頃は間違いなく、この重力を私達は上手に使っていました。
しかし、今は重いものを持つ機会が少なくなったので、ついつい、忘れがちです。しかし、相変わらず重力は常に、働いています。
身体に重力がどう働いているのか、それがわかると楽に動くことが出来るようになります。
立っているとき、背中や肩に重さを感じる人もいるかもしれません。それらは肩こり、腰痛として痛みや重さを感じさせてくれますね。
この痛みがある時、上半身はなにもしていなくても、辛いです。肩こりのない人にはわからないですが、当事者はただ過ごすだけでも精一杯です。
それなのに、上半身で仕事をしなくてはならない、となると、もう、最初のハードルが高すぎですね。
この時、上半身を手放し、下半身に任せる、という選択が出来るとわかれば気持ちは楽になります。
具体的には腰椎の五番を仙骨に密着させるようにすると、上半身の力、力みは取れていきます。それと同時に上半身を動かしにくくなります。この不自由さがおそらく、この気付きを遠ざけていたのだと考えます。
実は上半身を手放してみると、下半身の動きがそのまま上半身を通り力が発揮されるのです。
立っているだけ、歩いているだけで不自由なことが自由を与えてくれる経験を得ることができるのです。
そして、座った姿勢では上と下の関係は逆になる事が多いようです。
上半身の重さが椅子や床とで仙骨を潰します。座っているだけで腰が痛くなるのは土台となる下半身がすでに潰されてしまっているからです。
この時、無理に腰を伸ばそうとすればまた、辛くなります。すでに下半身は頑張っているんですから。
ここでも、手放す事が役に立ちます。
腰を伸ばすのではなく、仙骨を腰椎五番に密着させるのです。
すると、下半身は座る、という役目から出られるので腰が楽に感じます。
この姿勢は下半身の自由を手放した姿勢。その結果、自由になるのは上半身です。
武道の代表的な練習方法である呼吸法、合気上げが楽になります。なにか特別な技を得るのではなく、ただ、上半身が自由になっただけで技になります。
不自由を得て自由になるのは「断捨離」と似ています。
たくさんのものがあれば、それだけ有利に思えますが、同時に迷いも生み、タイミングを遅らせます。
たくさんの力を手に入れてもうまく行かないのはタイミングがわるいからかもしれません。
あらゆる物事には「良い面」と「悪い面」があるのです。
それをわかっているはずなのに、やはり、手に入れたものを捨てるのは勇気がいりますね。
だから、まず、身体に「捨てる事」、「手放す事」の意義を感じる事が役に立つのです。
どれだけ手放したとしても身体は残ります。そして、重力がある限り、そこに力は生まれます。
重力というプレッシャーと戦うために武器を作り、機械を発達させてきました。
実は重力は精神的には責任や期待、覚悟に形を変えます。大きな夢を持てば同時にプレッシャーも大きくなります。その時、便利な機械があればいいですがその保証はありません。
夢を持てば上からの圧力も変わる。それを知っておけばいいんです。
心が弱くなっている時、つい、反射的には逃げてしまいがちです。しかし、その時、仕組みをわかっていれば行動を選択する事ができます。
誰にも等しく与えられているのが重力です。
これも「エネルギー」として使えるかもしれない、そんな気持ちで探っています。
これを力とする事が出来たら、自然は自分の味方になります。
色々難しく言葉にしましたが、これがわかってできる事はシンプルです。
立つ事、座る事、歩く事が楽になります。どんな仕事をする時にも身体が楽であればいいですよね。
心を落ち着ける瞑想だけではなく、身体を落ち着ける姿勢も探してみてください。
前回、「前」へと進む力についてお話しました。「運」を身体で感じ、それを働きに変える事ができます。
身体感覚に目を向けるようにだんだんと、視点が広く、大きく、高くなっているのを感じます。
目的を決めれば、自然と心にプレッシャーが生まれます。