良いこと、悪いこと、正しいこと、間違ったこと。
私はずっと、身体に頼って生きています。
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私はずっと、身体に頼って生きています。
五行思想というのがあります。
あらゆる現象を「水木火土金」に分けて考えます。
これが良いんです。アタマの中が整理されて次の研究へと移しやすくなります。
五行思想をどこかで学んだわけではありません。
今から20年以上も前、鍼灸師の友人にこの思想の存在を教わりました。
以来、何となく、気にして、本を買ったり、ネットを見たり。そんな程度です。
最初に手に入れるのは知識です。
色にも五行があり、四季に五行があります。
私は記憶力が非常に足りないので、何度読み返しても、これまで研究されている五行思想の分類を覚えることが出来ませんでした。
興味はあっても身につかない、使えない、というのは悲しいですが、なぜだか、五行思想だけはずっと、興味を持ち続けることができました。
ただ、ある時、ただの知識だったものが身体的にわかったのです。
当然、身体の中にも五行はあります。鍼灸師などはそれを利用し身体を整えているのでしょう。
私が実感した五行は肩、肘、手首を当てはめたものでした。
肩の関節、肘の関節、手首の関節。それらがちょうど「火、土、金」に対応している気がしたのです。
細かい説明はまた他の機会に譲りますが、知識が身体とつながった体験でした。
その後、「木」は背骨、「水」は仙骨だ!と理解はつながりました。
これが合っているかどうかは分かりません。正当な五行を学んでいる人からすればそんなもの!と言われるかもしれません。
しかし、現時点で納得を得ながら、身体を動かすことができるというのは私にとっては大切な事でした。
身体感覚のおかげで、知識だけであった五行思想への信頼が確かになりました。
五行思想というこの宇宙を説明する理論に信頼を持てるとそこからまた、色々な事を想像していくことができます。
このブログのカテゴリーにある「水木火土金」は五行思想に当てはめたものです。もちろん、勝手に(笑)。
私は研究する事、追い求める事がなにより好きなのだ、とわかりました。今こうだ、と思っていることもこの先、新しい理解とともに変わっていくはずです。
その時にも五行思想が助けてくれるはずですし、いつか、五行思想に当てはめられないものを見つけたいとも思っています。
五行思想は宇宙を説明すると書きました。
宇宙は広大です。それは誰もが知っています。しかし、この身体も広大なのです。
誰かが身体のことを小宇宙と言いました。
誰もが宇宙に住み、身体という宇宙を持ち生きているんです。こんな凄いものを研究しないなんてもったいない!本当にそう思います。
私は勝手に、研究をして、身体で確かめています。最初、自分が研究しているだなんて…と、考えるだけで恥ずかしかったです。
しかし、今では、恥ずかしいと思い、研究を公言しなかった時間の方がもったいなかったなぁ、と思います。ぜひ、ドンドン自分を探してください。
自分の気持ちを言葉にするのが苦手だったので、ずっと、やれるかどうか、目に見えるもの、つまり、結果に囚われていたようです。
学校では◯✕、点数で判断されるし、スポーツも勝ち負けを競います。仕事だってだんだん、成績重視になってきました。
本来数字にならないものだって関連付けて数字になっていくようで、今話題の映画も最初見た人たちは楽しさ、と感動が先にあったはずですが、だんだんと興行収益で凄さが伝わっていくようになります。まぁ、世の中そういう流れなのでしょう。
そんな見方が嫌だったので身体感覚という世界に出会ったのかもしれません。
多くの友達を巻き込んでみましたが、誰もがここに興味を持ったわけではありませんでした。最初はもちろん、楽しみます。しかし、だんだんと仕事や家庭、趣味など忙しさに引っ張られ離れていきます。
その気持ちもわかるんです。
なぜなら、身体感覚を探る事は結果に囚われないと言うことだから。身体という終わりのないものを相手にするのだから、いつも、まだまだ、こんな事では、と思えるのでなかなか、人と共有できません。研究よりも、楽しくお祝い、打ち上げの方がいいんでしょう。
たまたま私はここが気に入りました。
打ち上げパーティーは、たまに、でいいんです。毎日を研究する事がこんなに楽しいものだったとは考えもしませんでした。教えてくれる人もいませんでしたし(笑)。
そしてわかってきたのは身体というものはあらゆるものに「似ている」という事です。
最初、というか、つい最近まで、もっとこの身体が動けばいいなぁ、と思って研究していました。
しかし、ケガや疲れが気になりだして思うのは、動けなくなった方がいい結果をもたらせてくれる事があるかも知れない、ということです。
動けなくなっているのに、結果的に動けるようになっている。これは「矛盾」です。その矛盾を受け入れてみると、これまで手を焼いていた事がちょっと楽に思えるようになりました。
身体感覚を通して「矛盾」を感じた事であらゆるものとの「共通点」が見えてきました。
このブログのテーマである「運命」もそうです。
運命を自分の思い通りに動きしたい。幸せになるためには何ができるのだろうか?と考えますが、つい、頭には今の常識から見て「好転」させたいと思ってしまいます。
頭はいつも勘違いをします。たからこそ、身体に任せることを選択し、生きてきたのですが、ついつい、また、頭が出しゃばってきます。
良いと思ったことだけを求めるとおそらく、超自分勝手な生き方になるはずです。
しかし相手は自然、宇宙です(笑)。私も随分自信を持つ事ができましたが、限りない宇宙と戦って勝てるほど自信はありません。
ここでやはり、身体が助けてくれます。
身体は新しい目的をくれました。より良い動きを求める事を目的にするのではなく、身体そのものの仕組みを探りたくしてくれました。
その結果、良い動きがくるかもしれませんし、もしかしたら、動かないほうがいい、という思いがやってくるかも知れません。とにかく、身体のことをもっと知りたい、そこに興味を向かせてくれました。
運命に対してもそう。だから。似ているんです。
良い運命を求めるのではなく、仕組みを求める。
すると、周りにある見たくない現実にも興味を持つ事ができます。研究材料が一気に増えていきます。
その結果、運という人の外にある流れがよく見えるかもしれません。その流れに乗り、好きなところにも行けるようになるかもしれません。
慌てず、仕組みを求める。
この事を最初から求めてもよかったのですが、目先の結果、成果が楽しくって、ここまで先送りにしてしまったようです。
おそらく、もっと大きな視点からみればこの気づきも予定通り(笑)
いつか、このブログを読み返して、あぁ、やっぱり運命は決まっていたんだなぁ、そんな気持ちにもなりたいと思います。
自分で自分の生き方に向き合う。なかなかそれを勧めてくれる人はいません。それが成果を返してくれるかどうかも不確かですからなかなか向き合えません。それでも、身体というものを手がかりにすれば少しずつ、わかってくるものがあります。
こうして、言葉にすることで少しでも興味を持って研究してくれる人が現れてくれればと思います。
先日読んだ本に「感情のコントロール」というものがありました。
無意識だった身体の緊張が身体感覚が磨かれるにつれ、コントロールできるようになります。