感情のコントロール
やるべき事が分かっていても怖いことがあります。仕事でも、日常生活でも、です。
特に現代はあらゆる問題に答えがありますね。
答えがないような問題でも、これが答えだ!と大きな声で主張している人はいます。その人間を信用するなら、それは、答えを手に入れたのと同じです。
問題はその答えを実行に移すとき、怖い、と思ってしまった時です。感情が揺れてしまった時です。
感情がポジティブに揺れてしまった時には気にしませんが、恐怖のように身体を緊張させてしまうと、せっかく答えを持っていても、それをうまく行うことはできません。
しかし、私たちは普通、義務教育の中で感情のコントロールを学びません。
もしかしたら、近代日本の前は社会全体に「我慢」という雰囲気があり、それによって、感情を爆発させない、とさせていたかもしれません。また、覚悟のようなものがもっと、身近にあったかもしれません。
ただ、現代は感情を引き出され、ビジネスに活かされる時代です。
保険、医療など、不安を生み出させて行動に移させます。不安を自覚させ、我慢するという事は決してありません。
生み出された感情をコントロールし、次の行動に移すことができるのに、それを学ぶチャンスがありません。
身体感覚の稽古はまさに、それが学べます。
ルールにそった戦いはルールによって身を守られます。ルールを信頼すれば、感情を揺らさないですみますから有利ですが、そのままでは、現実の社会では役に立たないものになります。
最近はどこも、クレームが多くなっているそうです。誰かが我慢をして乗り切る方法は、いつか、自分に順番が回ってくるかもしれませんから、得策ではありません。
誰もが、なにがあっても、心を揺らさないように感情のコントロールができる、と求め始めたらいいのに、と思いますが、中々そういう発想には向かないようです。
最近気づいたことがあります。
これまで、感情と身体は関連が有る、と分かってはいましたが、より、細かく、その関連に気づきました。
感情を生み出すのは体の中でも体幹部、特に、上半身ではないか、と言うことです。
体幹部には多くの内臓があります。それに関係しているのかもしれません。
内臓を自覚するのは難しいですが、体幹という肉体は目に見えますし、触れることも出来るので手がかりになります。
感情のコントロールを求めた時、いきなり、すべての感情を制御する必要はありません。まず第一歩が「ある」とわかることが大切です。
そして、少しずつ、コントロールできるという自信をつけていくと良いはずです。
身体を捻ってはいけない。
これが私が稽古を始めたときの手がかりでした。
でも、最初、なにが捻れて、捻れていないかということ自体が分からなかったのです。身体を捻る、捻らない、だなんて、私の中には基準がありませんでした。
しかし、今、その言葉がまた、私を助けてくれます。
なにかに気づく度にあぁ、こんなにもまだ捻ってしまっていたのかぁ、とわかるんです。
その僅かな捻れが身体を歪まし、その瞬間、感情も動いてしまっていたのを感じます。
手順にすれば、怖さを和らげる姿勢や動きは作ることができます。最初の手がかりとしては良いかもしれません。
しかし、それで安心してはまた、大きなアクシデントで心が揺らされてしまいます。
大切なのは自分でなんとかする、と言うこと。
人それぞれ、感情が動くポイントが違います。それを身体を手がかりに確かめていけば、徐々に身体の声というものが聞こえてくるはずです。
明日、明後日、感情コントロールを手に入れなければいけないのではないですよね。
一生を通して、自分と向き合うとき、感情は心の状態を表してくれる強力な手がかりです。
こんな研究をしなくても、人生は続くし、楽しく過ごせるでしょう。でも、この研究で、自分のことがより深く分かるかもしれません。もし、そんな興味があるなら、ぜひ、チャレンジしてみてください。必要なものはなにもありません。ただ、自分に向き合うだけでいいのです。
そのお手伝いはいくらでも、させていただきます。