ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク
現代は目に見えないもの、数字として測定できないものはどんどんと排除している感じがありますね。
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現代は目に見えないもの、数字として測定できないものはどんどんと排除している感じがありますね。
自分が欲しいもの、求めているものは時々、確認をしなくてはいけません。
身体感覚を手がかりに稽古をし始めて、次々に新しい発見があり、トレーニングをしている暇がなくなりました(笑)
トレーニングからも得るものがあるはずですが、それは常識的に「努力」として認められているので、他でもやれるかな?と思っています。
とにかく、「身体感覚」という世界が素晴らしい!
今、ドンドンその世界が私たちの手から離れだしているように思います。
感覚を使わなければ使えない道具は実用品からは消えていっています。
技術者はVRなど、感覚を使った新しい機械を作ったりして研究していますが、私たちの多くは消費者です。自分の身体感覚を使いこなすことなく過ごしています。
身体感覚が分かることでメリットがある。
もしかしたら、それがもっと広がれば身体感覚へ興味を持ち、日常生活、仕事を見直す人も増えるかもしれません。
今日は身体感覚の稽古がもたらしてくれるメリットをお話しします。
「身体」を強く意識をして稽古をしますので、つい、「身体が丈夫になる」と考えてしまうかもしれません。
確かに、この技術を身につければ、重いものも軽々と扱えるようになるし、重かった身体もヒョイと軽く動けるようになります。
スポーツに使えば記録を伸ばすことも出来ますし、プロの選手なら身体を丁寧に使うことが出来るようになり、現役を続けていくことができます。
しかし、そうじゃない、それだけではありません!
私は幸いにして、身体を大きく、健康に生んでもらいました。
ずっと身体に心配を作らず大きくなってきました。
それでも、その身体に似合わない心の弱さがあり、毎日を悶々と過ごしていました(笑)
たまたま出会った身体感覚の世界に興味をひかれ、稽古を続けていって、それまで気にもしなかった身体にたくさんの可能性が隠れていることを知りました。
そして、稽古、研究を続けていくと身体が動くようになるのと同時に、心がドンドン軽く、広く、大きく、機嫌よくなっていくのを感じました。
心身一如とはよく言われていて、その言葉を知っている人は多いと思いますが、本当にそうだったのだ!と実感することができました。
理由、原因のある問題点なら、その原因を解決していけば幸せになれます。
しかし、私が持ってしまった問題は原因が分からないことばかり。なんとなく、自信が持てない、そんな事ばかりだったのです。
そんな意味不明、原因不明の問題が身体が動くと、解決していくんです。
はっきりと、いつ、それに気づいたのかは分かりませんが、自分の機嫌、心の動きは身体に任せればいいんだ、と今ははっきりと、わかります。
便利な道具や機械、たくさんの細やかなサービスは成果、結果を与えてくれます。
人間の難しさは、うまくいっていても、心に不安が生まれることがあるんです。
まだ来ていない未来ですから、気にするな、という言葉一つで片付けられるものですが、気になってしまったものは仕方有りません。
どうしたら、自分の気持ちを変えられるのか、それを困っている人もいると思います。
そんな心に生まれる不安は身体感覚、身体操法、武術の稽古で解決をしていくことが出来るのです。
記録が伸びるのは楽しいでしょう。
出来ないことが出来るようになるのは楽しいです。
それらは目にも見えるので、その成果が欲しい人たちは身体感覚の世界に興味をもってもらえるはず。
しかし、心の問題、機嫌を自分の力だけで良くすることができる。そんなメリットも有ることをぜひ、伝えたいと思っています。
心にキズを追うと、それはだんだんと大きくなります。そのキズを癒すのに、身体なんか役に立たない、そう思うかもしれません。
でも、それは今までみてきた身体、身体感覚を捨ててしまった常識が作る体です。
身体感覚を知れば、これまで身体を数字でしか判断してこなかったのが分かりますし、他人からの評価で信頼を左右させていたこともわかります。
自分を自分で見て、好きな自分を探し求めて、手に入れる事ができるのが身体感覚の稽古です。
困っているなら、チャンスです。
その心に生まれる痛みや苦しみが手がかりとなって、新しい身体感覚に気づき、新しい自分を感じられるようになります。
今苦しんでいる、というのは身体感覚を手に入れるのにはチャンスなんです。
私がもらった稽古法は誰に遠慮をするものではありません。
カラダラボの稽古は感覚はお渡ししますが、覚えなくてはいけない手順はありません。
身体で得た感覚を手がかりに、当たり前だと思っていた日常に目を向けるとちょっとずつ、発見が増えてきます。
そして、その何かに気づく力は年齢とともにドンドン増えていきます。年齢を重ねる度に新しい自分が見つかる、そんな楽しさを得ることができます。
ぜひ、試して、自分の持っている身体の凄さを実感し、そして、近くにいる大切な人に、それをまた、伝えて上げてください。
カラダラボのウェブサイト
何かができると人生は変わります。
身体感覚の稽古をし始めてずいぶん時間が経ちました。大きな衝撃を受けた経験でしたが、それ自体が直接、仕事や生活に役に立つと思えたわけでもないので、ここまで続けてこれたのは運だったのかもしれません。
私が行った稽古は「ただ手を上げるだけ」です。
よっぽど特殊な人でなければ、手を上げるだけの稽古を喜びません。
「それがいったい、なにに役に立つの?」
と、聞かれるかもしれません。
はっきり言って、手を上げる事は人生に「役に立ちません」。
手を上げられるからと言って、困ることはこの日本ではほとんど無いのです。
しかし、それでも、私は手を上げられるようになったからこそ、人生を楽しめるようになりました。
それまでの私には「得意」と思えることがなにも無かったからです。
しかし、20年もただ手を上げる事に打ち込み、研究すると、それは「得意な事」になります。
その得意がすごい、と言われることはほとんどありませんが、この技が今の自分にとってのモノサシになっているのです。
手を上げる動き自体はほとんど認められる事はありませんが、それを求める過程の中でたくさんのことに気づくことができました。
きっと、手を上げる事を求めなければみつからなかったものばかりです。
私が見つけたその多くは「身体」に関すること。
それまでは自分の身体を身長や体重、なにかの成績でしか見てこなかった事に気づきました。
「感覚」という視点で身体を観察してみると、肘や膝、肩や背中、胸、その他多くの身体を適材適所に全然使っていなかった事に気づかされます。
強い部分は強さを発揮するように使えばいいし、弱い部分は弱さを発揮するように使えばいいのです。
何にも使えない、と思ってしまった時にも「目印」ぐらいには使えます。
あれが出来ない、これが出来ない、とつい、諦めてしまっていましたが、自分の事がわかってくるにつれ、もしかしたら出来るのかな?と前向きな気持ちも出てくるようになりました。
得意なことを伸ばしていく時、あまり、大勢の人が価値を持っていないものの方がいいかもしれません。
大勢の人が求めるものであると、つい、彼らに合わせた事をやってしまうから。
その事によって喜ばれるのが「仕事」になるのかもしれません。
求められる「仕事」以外に自分を高めることをライフワークにできれば無敵です。
今は機械、コンピューターの時代です。
どれだけ身体があろうが、結果はあまり変わらない時代です。
だからこそ、身体を得意にするのが「結果以外のもの」を見つけるチャンスになります。
口笛や開脚なんかいいかもしれません。私はただ手を上げるだけでした(笑)
やれることで損もないけど、得もなさそうな事がいいようです。
自分なりの得意技を見つけてください。
人生は「まさか」の連続なのだそうです。
新しい感覚を見つけると動きが変わります。それまで想像もつかなかった精度で動くことができるようになり、十分に抑えさせていたとしても、すり抜ける事が出来るようになります。
それでも、二度三度、繰り返して技を行うと相手はそれについてきます。人間の持つ「慣れ」というすごい力です。
相手についてきてもらうと、このままではダメだ、もっと、なにかを見つけなければ、と思えるようになります。この気持ちがなくては新しい発見はありません。
だからこそ、カラダラボでは、先輩後輩や、持っている段位などの気持ちの遠慮が出ないように、入会もなければ受講証もありません。とにかく、研究が第一なのです。
嗅覚を使う方法があることがわかり、技はガラッと変わりました。これまで困っていた技もスルリと行きます。
ただ、うまく動けたときにはその軽やかさがあるのですが、時々、ぶつかるのです。
その衝突が頭を働かせてくれます。
動き方は分かっていて、そのようにやっているはずなのに、なにが衝突を作っているのだろうか?そんな疑問が出て来ます。
疑問が出れば答えが返ってきます。研究する事の楽しさはここにあります。しかも、その答えはその瞬間の自分さえ納得ができればいいのです。
衝突する時、自分の中のなにが影響しているのだろう?と思い、その瞬間を思い出していると、一つ見つかりました。
ぶつかるときには「相手を」考えていたのです。相手をどうこうしたい、相手を動かしたい、と思い動いている自分がいました。
うまく動けたときにはそれはありません。自分が進みたいところへと身体を進ませるだけです。
こちらが自由のまま動いた「結果」、相手は置き去りにされ、勝手に崩れていきます。
新しい世界を見つけた瞬間はその楽しさで相手にかまう暇なく、ただ行きたいところへ進んでいたみたい。
でも少し飽きてくると、今度は相手を気にしてしまっていたわけです。
相手の中にも力があります。
潜在的な力は相手も無限です。相手に向き合い、力を引き出していたのかもしれません。
そう考えると、衝突も楽しい、と思えてきます。
ちょっと思考を広げてみると、ひろい宇宙の中ではほぼ、衝突はありません。星と星が出会う確率はそれこそ、天文学的確率でしょう。
しかし、この地球上では、山ほど衝突があり、それが当たり前になっています。
せっかくの衝突です。その衝突を生かし、学び、新たな世界を見つけるために使いたいと思います。
初めて甲野先生にお会いしたのが22歳の時です。
左右の密着によって気づかされた事があります。こんなにも自分は迷っていたのだなぁと言うことです。無意識の部分なので気づきませんでした。
左でも右でも、好みの方に密着させる。すると身体は窮屈になります。動けなくなりますが、実際に仕事をするのは腕や脚です。
これまで、腕や脚の自由を奪っていたのが体幹なのだ、とわかりました。
もしかしたら、筋肉、特にインナーマッスルを鍛えて成果を上げようとする試みはこれと似ているかもしれません。
ただ、左右の密着は筋トレが要りませんから、楽々です(笑)
迷いがなくなってきた事で一つ、ひらめく事がありました。
それは願いをどう叶えるのか?と言う問題です。
願えば叶う、それが願望実現の力です。そのためにありがとうを言ったり、笑顔を作ったり、みんな、努力をしています。
でも、もしかしたら、もう、叶っているのが「今」ではないか、という事です。
なにかを「手に入れたい」という願望があって、願う、でも、手には入らない。この時、教えは間違っていたのか?と疑いを持ちます。
でも、もう、叶っているとしたら。
アタマの中では手に入る、入った!(完了形で行うのがメジャーですよね(笑))、と願ったつもりでも、無意識、心の奥では無理かもなぁ、と思ってしまっているわけです。
今、無理が現実になっているところで、努力をして、また、願っても、無理に無理を重ねるのですから、さらに無理が強力になりかねません。
まず、この無理の連鎖を止めなくてはいけない、そう思いました。
稽古を通してわかった事は人間は成長すると言うことです。これは人はすぐに飽きちゃう、という意味でもあります。
夢にまで見た世界を手に入れたとしても、すぐに普通になり、飽きるのです。
この力を使わない手はありません。
稽古を通した研究は成長力を自分の中に見ることができます。自分には出来る、どこまで出来るようになるのか分からない、という気持ちを得ることが出来るようになります。
一旦うまく行かなかった事に出会ったときは、出来るところまで気持ちを戻します。
一気に戻してもかまいません。
形有るもの、特に値段がついているものであればお金を基準にしてもいいでしょう。
とにかく、悪い循環に入っている事を自覚し、その流れを変えることに目を向けるのです。
これはドン底の自分を見つけるという作業かもしれません。
その底からであれば、少し楽になるための方法は見つかりやすいし、うまくいきます。失敗したとしても、ドン底に戻るだけ、また、チャレンジができます。
身体は行動する事の大切さを教えてくれました。
武術の世界では肉体的な行動ではなく、思考的な行動で相手を倒す技も存在しますが、それは、武術で学ぶよりもビジネスなどの世界の方が学びやすいです。
行動するときの姿勢、それが思考を助けてくれます。思考的によく分からなくても、納得できる姿勢をとり、行動する。
これも一つの答えです。迷いは特に身体に出ます。その迷いを取ることができたら望んでいた循環に入ることが出来ます。
姿勢の力はもっと、見直されてもいいんだけどなぁ。姿勢よりも、成果の方に注意が向けられているのが現代です。
姿勢だなんて、後回し!そんな事を思わず、姿勢を整え、好きなことにチャレンジしてみてください。
ブログを書き出した事で、思っても見なかった言葉が山ほど出てきて自分でも驚いています。作文がなにより、苦手だったのに(笑)
面白いのは、自分が書いた文章を読み返したとき、本当に自分が書いたのかよくわからない時があります。その瞬間、身体に生まれている感覚に従って書いているからでしょうか(笑)
さて、書きまくってきてふと、思った事があります。
それは「分かる言葉」と「分からない言葉」についてです。
最近書いた記事に「左右の密着」というのがあります。
体幹を左半身と右半身と分けて考えて、右半身を左半身にぴったりとくっつけるという使い方です。
それによって、重心は左半身の右断面に沿って落ちることになります。
言葉は理解できなくても、動きとしての働きはわかりますので、そこでまた、頭は混乱します。
こんな説明をすると百人が百人、「分からない」といいます。その「分からない」を手がかりに稽古を進めるのですが、徐々に理解は進みます。求めれば、必ず、答えは得られます。
しかし、ここで一つ疑問が生まれます。
「分からない」という言葉は分からない、という興味を持たせてくれて追求する事ができます。
しかし、「分かってしまった言葉」はどうでしょう。
分かってしまったから、スルーされてしまいます。
左右の密着と関係させてみると、「正中線」がそれに当たります。
正中線を「分からない」と考え求めている人がどれだけいるでしょう。武道、スポーツの世界ではあまりにも当たり前の言葉です。つい、わかった、わかった、と「分かったつもり」になってしまったかもしれません。
「分かったつもり」になり、追求を止めてしまった言葉がどれだけあったのでしょう。
言葉は難しいですね。しかし、面白いです。丁寧に向き合わなくては。
答えは常に二つあります。
今の時代は問題に出会った時、すぐに答えが見つかります。
昔なら「秘伝」として秘密にされたことが今は商品として売られているわけですから。
書店に行けばたくさんの答えがあるので、運が良ければ一つ目の答えで問題が解決してしまうかもしれません。
しかし、また、新たな問題が出て来ます。それは問題を解決する答えに出会えない時です。
一つの問題に対してたくさんの答えがあるので、答えを試し続ければ良いのですが、何度もうまく行かないことを経験すると、諦めが生まれてしまったりしますよね。
私はこの「自分を信じられない」という問題に苦しめられました。
たまたま、私は「稽古」に出会い、「研究」をし始めました。
研究が教えてくれたのは自分は変わっていく、という事です。
答えを一つでも手に入れていれば、後はそれに合う自分に「変わっていけばいい」という事になります。
時間はかかるかも知れませんが、確実に答えへと近づくことができます。
新しい自分をいくつか見ていくと面白い事がわかります。
それは「答えは二つある」と言うことです。
ある問題を解決するのに速く動いてもうまく行くし、遅く動いてもうまく行きます。
大きく動いてもうまく行くし、小さく動いてもうまく行きます。
相手の事を考えてもうまく行くし、自分の事を考えてもうまく行きます。
最近見つけたのは、自分のバランスを足裏の下でとってもうまく行くし、頭の中、脳みその辺りでとってもうまく行くという事です。
人間には「飽きる」という能力が標準装備されています。
飽きているのにそれをやることは自分に嘘をついていることです。
ただ普通は仕事として結果を求められますから、飽きていても、同じ事をしてしまうものです。
研究をすれば結果が得られます。
その結果があれば生きることを「楽に」する事ができるかもしれません。
しかし、それが「楽しい」かどうかは自分に問いかけなくてはいけません。
飽きてはいないだろうか?ワクワク楽しんでいるだろうか?
研究が上手になる、というのは結果に囚われなくなる事かも知れません。
気づいたことを隠すことなく、全部伝える。カラダラボの稽古はそれを行えるようにしてあります。
秘密にしておけば技はかかり続けるので勝ち負けで言えば気分は良いかもしれません。
でも、心の奥にはもっと新しい自分を見たい〜という気持ちがあるかもしれません。まだまだ、すごいことが出来る自分が必ずいるんです。
実は研究上手になって秘密を全部伝えると良いことがあります。
それは自分の中に新しい問題が生まれると言うこと。
秘密、秘訣を伝えるのですから、相手はそれを抑えてきます。技がかかりにくくなるのです。でも、この経験、体験が心になんとかしたい!という必然性を生みます。
どうしても解決したい、そういう思いがなくては答えは見つかりません。
なかなか、外の世界、日常生活の世界でこんな体験は難しいです。
あまりにも便利になったので、どうしてもしたいことが減ったからです。
研究上手になるために稽古をする。そんな思いで来てくれると私もやる気がでます(笑)
各地でいろんな稽古、講座、研究会を行っていますので、興味に従いお越しください。