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自己肯定感

良いこと、悪いこと、正しいこと、間違ったこと。

私はずっと、身体に頼って生きています。

 
 
 
そんな事をいうと、健康オタクな人から、そうですよね、私も!と言われたりします。
でも、違うんです。
 
身体に頼るというのは健康にするためではありません。
食べ物にも、運動にもほとんど、気を配りません。
インスタントも食べるし、機械にも頼ります。
 
 
 
 
それなのに、なぜ、それが身体に頼っている、というのか。
それを伝えるために、ブログを書き、講座を開いているのかもしれません(笑)。
 
 
 
 
常識的な「身体」ではなく、思考、判断の元となる身体があります。
 
 
 
 
 
 
やはり、言葉は足りません(笑)。
だから、日々、身体を通して感じたことを残します。
その中から、少しでも、あれ?私の思っている身体とは違うなぁ…と思ってくれたらうれしいです。
 
 
 
 
 
最近の稽古の中で「正しいこと、間違っていること」について考えることがありました。
絶対に嫌だ、だめだ、と思っていることが逆にとっても良いことだったんだと思うようになったのです。
 
 
武術の稽古には痛みがつきものです。
対応を間違うとそこには痛みが伴い、記憶に残ります。
 
するとだんだん、失敗する自分を早く見つけられるようになるんです。受けそこなった事で攻撃を受けてしまう、とわかると同時に身体は緊張し、固まります。
この時の身体が「嫌な事、ダメな事」だったのです。
 
 
 
 
数日前、生きる事と死ぬ事は合わせて100パーセントだ、と気付いたんです。
今、生きているのは同時に、死んでいる、という事に納得がありました。
10年生きるというのは10年死ぬ、という事です。
10年死ぬためには10年生きなくてはいけません。
 
この気づきでさきほどの「嫌な事」を見てみると、その瞬間、やられる!倒される!死んでしまう!と怖れを持った自分がいるのが見つかります。
死んでしまうかもしれないのですから嫌なのは当然です。
 
しかし、死んでしまう!と思った瞬間、その裏には生きている自分がいる事に気付いたのです。
 
 
 
 
今、ぼっーとして、なにも嫌なことがない瞬間は自分が生きているのか、死んでいるのかわからない状況です。
金メダルをとった、大統領になった、そんな大きなイベントを実感している瞬間ならしっかりと「生」を感じられるでしょう。
しかし、当たり前で、普通の毎日は生きてもいるけど、死んでもいるわけです。
 
武術は常に、死んでしまうかもしれない緊張感を与えてくれます。
ちょっとの対応の違いでドキッとします。
その瞬間の自分を見逃さないようにすれば、今まさに、生きている自分を見つけられます。
 
 
 
 
今、こんな事を書いているのは、「生きている」事を実感した瞬間、身体、特に首から下がざわざわっとなり、力が湧いてくるのを感じたからです。
ずっと、自信のない生き方をしてきたので、こんなエネルギーは感じたことがありませんでした。
 
 
 
 
死んでしまうかもしれない、それは考えたくないことかもしれません。
でも、考えたくないところにこそ、それまで見てこなかった世界は隠れています。
ちょっとだけ、ちょっとずつ、考え始めてください。

自己肯定感の獲得

運命は変えられるか?

書店に行けば人気のテーマです。
決まっているのか、決まっていないのか、すぐに答えを求めてしまいますが、第3の選択を得て、私は楽に、幸せに、楽しくなれました。
 
それは「研究する」という事です。
 
 
 
運命について答えを持っている人もいるでしょう。
そういう人は自信を持って、たくさんの人にそれを伝えると思います。
そして、それによって救われる人がいます。 
 
 
 
私は答えをいろいろと見せていただきましたが、どれも、ダメでした。答えがダメなのではなく、自分に「合わなかった」のです。
 
答えは信じれる人にとっては便利なものです。迷わなくてもいいですから。
私はどれだけ皆に信頼されている答えを得ても、だめでした。すぐに迷いに振り回されてしまいます。
それは私の性格だったのですが、そのおかげで「研究する」という楽しみを得ることができました。
 
 
 
答えを外に探すのではなく、自分の中に探る方法を見つけてみると、気分は無敵です。
悩みがでてくればそれを研究すればいいことがわかったのですから。
 
 
 
私にとって「運命」は大きな興味を持てるテーマでしたが、もう一つありました。「自己肯定感」です。
一応、「自己肯定感」と呼んでは見ましたが、どうも、この言葉も合いません。
自分をただ信じればいいのに、わざわざそこに言葉はいらないはずです。
 
研究を続けてみればヒントが見えてきます。
 
 
 
最近私はこの身体には三つの指揮系統があるのかな、と考えています。
人間の欲にも三つありますね。睡眠欲、食欲、性欲です。
 
その中の食欲。ここに私は引っかかります(笑)。
食欲は面白いです。食べたいのに、食べれないのです。
美味しそうなものも、お腹がいっぱいでは食べられません。
お酒が好きでも、肉体が壊れれば飲めません。命の危機がやってきますから。
 
その食欲を担当するのが身体の大部分を占める体幹部ではないか、そう思いました。
身体はねじれます。すぐにねじれてきます。
左右にも、上下にも、前後にも、です。
そのねじれやすい身体にこれまで振り回されてきたのか、導かれてきたのか(笑)。
 
 
 
頭を主役に使う方法が見えてきて、今まで、この体幹がねじれる事で悩まされてきたのは嫌な事ではなく、悩むことができる「自由」なのかな、と思えるようになってきました。
 
ダメをダメと見ないで受け入れる事ができるようになる事こそ、稽古の良さです。
自分の中にあるものを全部見ることができる。良いものも悪いものもです。ただ、悪いと思ったものもありがたく思えるように見えたりもしますし、良いと思っていたものも手放すことができるようにもなります。
見えてくる、わかってくるという事が自己肯定感なのかな、そう思っています。
 
 
 
稽古という研究が当たり前になって外への興味は薄らぎました。外にたくさん欲しいものがある人には合わないかもしれません。
しかし、外だけがすべて、という世の中になってしまうと、私のように内側を求めていた人たちはつらくなります。世の中が便利で豊かになればなるほど、自分が置いていかれてしまう気持ちになりますから。
 
 
最近、「鼻に奥がある」という事に気付きました。
その奥に意識を集中してみると、身体の内側、裏側を意識すること、意識をし続けることができます。
多くの場合、敵は外に現れます。自分の潜在的な力を信じていても、実際に目の前に敵が現れると身体は緊張し、動かなくなります。
しかし、鼻奥の身体に集中すると、見る前よりも早く、相手を認識し、受け止められるようになります。
 
身体感覚の稽古で何度もびっくりさせてもらってきましたが、こんな身体があるとは夢にも思いませんでした。
鼻ですから主な感覚は嗅覚かな、と考えています。ただ、匂いはしません。わかりません。
それでも、そこに「ある」という事はわかります。
「ある」を認めただけで技や動きがまるっきり変わりました。
 
求めるものが技であっても、それを成立させるのは身体です。
きっと、この内側に意識を向ける感覚もそれを普段から使っている人がいるはず。ただし、それを自覚しなければ、いつか、ほかの意見に惑わされてしまう事もあるかもしれません。
 
 
稽古を通して得られる自己肯定感は自分が確信したものをしっかりと使いきることができる力です。自分がすべてを選択して生きる、そんな生き方をする事ができます。
 
11月からのワンテーマ研究会ではこれまでの「運命」に加えて「自己肯定感」も始めます。
「自己」を考える時、「身体」は多くの人にとって「未知」の部分。重い軽い、大きい小さい、そんな数字だけではない身体を見つけると、自然と自分への思いは変わります。
 
 

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