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心と体

ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク

現代は目に見えないもの、数字として測定できないものはどんどんと排除している感じがありますね。

 
インターネットで人同士が繋がりやすくなったのも原因でしょうか。「共感」を生むものがより、高い価値を得ています。
 
 
 
体の中にも目に見えるもの、測定できるものがいくつもあります。
「筋肉」はその代表です。多くの人が嫌う「贅肉」も重さとして測ることができます。
「骨」もまた、その組み合わせのズレを見える化することができますね。
 
 
 
共感は楽しいですが共感だけでは自分を見失ってしまうかもしれません。私はそうでした。自分に自信を持てないままずっときました。
いつも、「答え」が先にあり、それをいかに早く求めるかを競っていたからです。
 
身体感覚は共感とは真逆かもしれません。ほぼ、自分だけのものです。ほとんど、理解を得ません。
 
 
 
・・・ただし、その瞬間をともにしている相手とだけは同じものを得ているのかも、そう思っています。自分であり、相手でもある瞬間をすこし感じ始めています。
 
 
 
共感の真逆、それが「ドキドキ」であり、「ワクワク」、そして「ゾクゾク」です。
「ドキドキ」は心臓、「ワクワク」は呼吸、「ゾクゾク」は皮膚、ちゃんとそれぞれ、生み出す「身体」がありました。
 
 
 
小人を見つけた!
最近私はそんな言葉で身体感覚と動きを伝えています。
その小人が教えてくれているのが「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」です。
考えるよりも先に「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」は生まれています。
一度生まれた「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」は決してなかったことにはなりません。頭で作る計画段階では予測できないもの、それが「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」です。
 
 
 
「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」を手掛かりとして、その後の行動を決める。身体感覚に従えばもうこれしかありません。
 
 
 
この感覚に気付いてみると、毎日の生活の中で意外と「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」しているな、と気付きました。
先日、名古屋は雪が降りました。その時にも、心は動きました。心の動きを言葉で表せば「ドキドキ、ワクワク、ゾクゾク」です。
 
ついつい、身体を動かす事に一生懸命になるとわかりやすい筋肉や骨を使いすぎてしまいます。しかし、甲野先生は「内観」の大切さを言葉にしてくれていました。内観とはなにか、それを思いながら身体を観ていくと骨や筋肉だけではない身体も見えてくるようです。
 
 
 
稽古は終わりがありませんね(笑)。 
この楽しさを共有できる仲間を募集しています。
今月の終わり、1/28(土)、浜松に甲野善紀先生をお招きし稽古会を開催します。初めての方、運動が苦手な方も参加のできる講習会です。
 
詳細は下記のサイトをご覧ください。

欲しいもの、求めるもの、手に入るもの

自分が欲しいもの、求めているものは時々、確認をしなくてはいけません。

 
世の中にはピカピカと輝くものがいっぱいです。楽しいところも次々と現れます。
それらをみて、反射的に欲しい!と思うかもしれません。
でも、それは本当に欲しいものなのでしょうか?考える必要があります。
 
 
 
あなたの欲しいものは何でしたか?
努力をして求めれば手に入るものでしょうか?
いい学校に入りたい、いい会社に入りたい、やりがいのある仕事をしたい、恋人がほしい、結婚がしたい、お金がほしい、いろいろ浮かんでくるかと思います。
 
 
 
求めれば叶う、という教えが世の中にはたくさんあります。なにを求めているのかをしっかりと意識しておくことは大切な事です。
 
 
 
ここですごいことをお話します。
身体感覚の稽古で手に入ることは、自分が求めている事、考えている事以上の体験と経験です。
旅に出て、貴重な経験をすれば自分が少し大きくなれます。
ちょっと奮発してリッチな旅をしたり、無計画で偶然を楽しむ旅も面白いです。
 
稽古はそんな旅と似ています。
今は安全で、どこに行っても似たような観光地も多いですから、もしかしたら、現実の旅よりも大きな経験をもらえるかもしれません。
 
 
 
旅は「環境」を変えるものです。
稽古は「自分」が変わるものです。
 
最近の稽古で私が見ることができた世界をお話します。
 
 
・鼻の奥
先月の終わり、「鼻の奥」に集中をしました。鼻の奥の自分は「小さな自分」です。自分という大きな身体の裏に小さな自分がいる事を実感しました。
 
小さくなってみると衝突が無くなります。
 
自分が行きたいところへ行ける、これまで行けなかったのは自分が行けない、と思い込んでしまっていたからでした
その理由は自分の身体が大きかったから。
 
責任ある立場になり、有名になったりすればその人は大きくなります。大きくなれば、自然と行動に制限をつくります。その逆もあったのです。自分が小さくなるからこそ、好きなことができるようになりました。
 
 
 
・内側に向ける視線
鼻の奥で自分の「裏側」を実感しました。心の中では「内面」を感じていましたが、身体的に「裏」を感じたことは初めてでした。
 
世界は表に広がるだけではなく、裏にも広がっているのだ、とわかりました。
 
五感の一つである嗅覚にそれがあるなら視覚にもあるのではないか、そう考え、あれこれ工夫をしました。そして、たまたま頭痛で寝込んだ時、その瞬間、自分の視覚は外へではなく、内側に向かっている事に気付いたのです。
自分の内側に視線を向けていても、外には世界が広がっています。
内側の視線と外側の視線は同時に存在していました。そして、内側の視線を意識したまま外側を見た時、風景が大きな一枚の絵になっているのを感じました。
武術の世界では遠山の目付、八方目など、視覚を一つのものに集中させないようにする事をよく教えています。しかし、人が世界をどう見ているかはなかなか感じられません。言葉だけが独り歩きをします。
その夢見ていた世界が視線を内に向ける事で現れてきました。
 
 
 
・反重力の世界
あるテレビ番組で「キツツキ」を紹介していました。彼らは木をつつく時、頭に1000Gもの衝撃を受けるのだそうです。そして、その衝撃を和らげるために「舌」を使うのだ、という事です。
そんな情報を受けて武術の技に試してみようと思う私は変態でしょうか(笑)。
私もなぜ、それを試したくなったのかわかりませんが、とにかく、試したのです。
すると、そこにはっきりとした働きがあり、それまでの動きとは全く別の動きになりました。
 
舌という器官は不思議なことに重力の影響がないのです。
 
それまで見てきた身体はどの部分をとっても、重力の影響を無視できません。だからこそ、重力と喧嘩をするのではなく、積極的に乗り、勢いとして利用してきました。
しかし、舌はそうではなかったのです。
 
最初、舌を折り畳み、上あごにつける事で反重力を使いました。
伝え始めたある日、文化センターでの講座中、受講生の一人から何気なく、「舌の先ですか?奥ですか?」と質問を受け、その瞬間、自分に「舌の奥」がある事を自覚しました。
自覚してみればそこは動かすことができます。舌の奥がぐぅ~と上へと浮いているように感じられるようになると、身体の内面全てが上へと浮いている感覚になっていきました。
 
 
 
 
とにかく、稽古をする事で手に入ることは変な事ばかり、想像もした事がない事ばかりです。
しかし、そのすべては体験、経験ですから、自分にとっては現実、事実です。
もし、新しい自分と出会う事が好きな人ならぜひ、自分の身体と向き合うという事も旅の一つに付け加えてあげてください。
 
 
12/18(日)には名古屋にこの楽しさを教えてくれた甲野善紀先生をお招きし稽古会を行います。有名な先生ですが、遠慮する必要はありません。プロの選手、オリンピックの選手でも、なにも運動の経験のない方も同じように驚く事ができます。世界中のどこに旅するよりも驚くべき体験ができます。
 
ぜひ、ご参加ください。詳細は下記のサイトでご確認を。
 

ショックの和らげ方

人生は「まさか」の連続なのだそうです。

今日のアメリカ大統領選挙でも多くの人にとってその「まさか」が現れたようです。
 
全てが予定通りであれば思い通りのところに行けると思うかもしれません。
しかし、それは個人の想像力によって縛られているのではないか、そう思っています。
 
想像力を鍛えるために「まさか」が使える、そう考えています。
 
 
 
私は20年前、とんでもない技と出会いました。まさしく、「まさか」という技です。
かめはめ波のようになにかが出てきたのであれば、頭はそれをそんな技だ、と認識したかもしれません。しかし、私が出会った技は見た目は全く、変わらない技でした。
何気なく手を出しているだけなのに、その手が見えなくなるし、抑えられなくなるのです。
 
かめはめ波であれば、うん、これは私には「できない」、と答えを出すことが出来たかも知れません。
しかし、私が体験した技の原理は「身体」だったのです。身体なら、私も持っています。その持っているものを生かす事でその技になるのであれば、それを望んでしまいます。
 
 
 
その後、何度も「まさか」という技を受け続けたのですが、気が付くと、自分の技量も上がっていた事に気付きました。
何かができるようになったわけでもありません。ただ、まわりを見渡した時に驚かなくなっていたのです。
 
これは、自分の想像力が増えたことを意味します。目の前のそれは「普通」なのです。
普通なのですから、それに気持ちが負ける事がなくなっていきます。
 
 
 
想像力は常に、今の自分ができるものをベースにして作られます。
純真な子供であれば無限に創造することもできるでしょうが、現実という力にまみれた大人はまず、無理。今の自分を無意識に基準にします。
 
この時の「できる」事がポイントです。
なにかができるには、相手が必要です。相手との共同作業でなにかが生まれているからです。
自分にできる事だけが経験になるのではなく、相手ができてしまった事も自分の経験になります。
 
技で言えばトンデモナイ技で崩された経験がある人はそれが想像力の基準になります。
一度経験してしまえば、次にかけられたトンデモナイ技は「慣れた技」になります。何度も何度もトンデモナイ技をかけられることで、それが当たり前になっていきます。
 
人間には慣れの力があります。余裕がでてくれば、あぁ、またか、となるのです。
その時、ふっと心に生まれる想像。これは大きなショックを受けたことで得られた想像力なのです。
 
 
 
人間には慣れの力もありますが、忘れるという力もあります。いや、忘れたい、のかもしれません(笑)。
忘れてしまうと、何度体験をしてもそれは初めてのように受けられるので楽しいのかもしれません。でも、その忘れているのは表層の意識、心の底の意識は絶対に覚えているはずです。
 
自分には乗り越えられない、と思うと忘れる事を選択してしまいます。
しかし、せっかくのショックです。武術はこのショックと向き合い、新しい自分を見つける手掛かりにしてきました。
 
 
 
人それぞれショックは違います。
今回の大統領選挙でも、大変だ大変だ、という人の意見がニュースになりがちですが、今回の結果を望み、投票した人たちにとってみれば希望になっているはずです。
 
常識は大勢の意見が作ります。気を許すと現代はすぐに誰かの意見が自分の意見のように思わされてきます。
全体の9割の人がそうだ!というと、つい、それに引っ張られてしまいます。
 
しかし、身体を通してみた時には常識は忘れてください。
どれだけ「無理」と言われても、自分の中に求めるものがある時にはそれを求め続けます。
その思い、信念があるから、そこから次のアイデアが出てくるのです。
その変化はとってもわずか。常識側からはやめておけよ、と声がかかるかもしれません。
でも、やめてしまったら絶対に自分の望むところにはいけません。
 
 
 
アスファルトやコンクリートを破って雑草が生えます。
植物に意識があるかどうかはわかりませんが、すごいことですよね。
 
しかし、私たちの常識的な頭は綺麗な花にばかり目が行きます。
諦めなくてもいい、という事を身体は教えてくれています。
ショックを受ける、というのはまさしく、そこに身体がある、という事を教えてくれています。
 
ただ、身体を生かす、身体を観る、という事をみんな忘れてしまいました。目に見える身体しか扱わなくなったのです。
そんな常識に負けて生きるのも自由ですが、私はトンデモナイ技を経験してしまったのでもう無理です。
あの「ショック」があったからこそ、その後、20年以上ずっと、あきらめずに新しい自分を求め続けていく事が出来ました。
 
しかも、その後何度も何度も「まさか」という「トンデモナイ技」を受け続けることができ、この先、死ぬまでずっと、新しい自分を探しながら生きていく事になりそうです。
 
 
 
「攻撃」と「防御」に納得がいって、これからは責任と覚悟を持って「攻撃」もしよう、と思います。
トンデモナイ技を通してショックをお渡ししますので、ぜひ、体験にいらしてください。
 
稽古、講座予定はこちらをご覧ください。

ショックを受けることでいいこともある。

初めて甲野先生にお会いしたのが22歳の時です。

大学を卒業したばかりの事です。
それまで、ずっと、自分なりに練習をしてきて、素手であれば戦った時「なんとかなる」という気持ちになっていました。
 
実はあまり知られてはいないことですが、ルールがある時、勝ちを求めず逃げに逃げまくることで自分の身は案外と守ることができます。経験者と未経験者という状況では突き一つで決まることもあるでしょうが、相手も経験をしていて、ルールがあればなかなか技は決まりません。
 
 
 
本でしか知らなかった甲野先生の技を実際に受けてみると、これがもう、びっくり。
触れて抑えて、十分警戒をしていたにも関わらず、次の瞬間、なぜか、顔の前に手が。
ルールがあれば顔の前に手が来ただけではなにも変わりません。
もしかしたら、次の瞬間、こちらの技が決まり相手を倒す事もあるかもしれません。
 
でも、目の前に自分が理解できない技があるんです。
 
初心者であればすべてが初めての技です。驚くべきばかりかもしれません。
でも、何年も、何十年もやってきて、その道の先生となって、目の前にあるシンプルな動きの仕組みが「わからない」なんて・・・。
 
このショックはそれまで向き合っていたものが大きければ大きいほど大変なことになります。
 
 
 
このショックに対して「見なかったこと」にする人もいます。あまりに多くのショックは受け入れることができません。
私はぺーぺーで、なおかつ、自分に自信を持っていなかったので、守るものはなにもありませんでした。目の前にある「わからないこと」をわかりたいと思い、稽古を始めました。
 
この眼から鱗が何枚も落ちるようなショックが無ければきっと、いい話をきいた、ぐらいで終わっていたかもしれません。
 
 
 
一生懸命やっていれば上達します。
そして、世の中広いので、上には上がいてショックを受けることもあるはずです。
そのショックを活かすことができればさらに、奥が見ることができるはず。
 
ただ最近は「人それぞれ」という考え方が広がってきました。
どんどんと細分化して自分らしく生きることが楽しいよ、という考え方が受け入れられています。
この考え方は私も受け入れていますが、これは見方によっては「ルールの細分化」となって、自分のいいところを伸ばす事が出来なくなります。
衝突を嫌って避けまくると成長はできません。
 
 
 
私は根本となる「身体」を強くする方法を教わりました。
その根本を強くして、自分らしい生き方を見つけることこそ幸せへの道だと思っています。 
 
 
 
衝突は嫌な事だけじゃない、それを身体で経験できることこそ稽古です。
年齢とともに捨てること、手放すことが難しくなる、と言われています。いろんな理由があるんだと思います。でも、できれば、身軽な年寄りになりたいと思っていますので、これからも研究、稽古を続けていきたいと思います。
 
こんな楽しみを求めている人のお手伝いができればうれしく思います。

願いとプレッシャーはセット。

何かを願ったとき、同時に、出来るかな?とプレッシャーを感じるはずです。
もし、プレッシャーを感じないなら、その願望は願いと言うよりも、計画、予定に近いかも知れません。予定や計画ならプレッシャーは要りませんから。
 
 
 
自信をなくすと、ついつい、余裕のある願望、つまり、計画出来る程度の事しか行動を起こさなくなりかねません。
本当はもっと、自分には出来るのに、自分で、行動を狭めてしまいます。 
 
 
 
稽古をする事で「プレッシャー」に対して慣れることが出来るようになります。プレッシャーについてよく分かるようになるからです。
 
稽古ではいきなり空を飛べ!という願いはたてません。今出来ることを少しだけ伸ばしていきます。外に大きな目標を持たず、ひたすら、内に意識を向けます。
 
 
 
内面に意識を向けても、それを「やれないこと」と自覚していると「プレッシャー」が生まれます。
稽古は研究です。使えるものは何でも使います。このプレッシャーも使うことが出来ないか?そう考えました。
 
探せば見つかるものです。プレッシャーは上から下へとのしかかってくるものでした。そして、その力は足下にある地面に「跳ね返って」来ていました。
上からの力にそのままのるのは難しいですが、下から跳ね返った後の力であれば乗ることができます。
 
 
 
大きな願いを立てたときにもこの経験は生かすことができます。
 
何かを願う。その時、プレッシャーが生まれるのは「当たり前」です。プレッシャーは願いとセットなのだ、とわかれば最初に出会ったプレッシャーに反射的に行動を止められなくなります。
 
むしろ、プレッシャーがあるから、強い行動にもする事ができます。
どんな願いがあっても、行動に移すことがなければ、運に頼るしかありません。しかし、現代は運という不確かな要素がドンドンなくなっています。行動する力を高めることこそ、運命を自分のものとする近道ではないでしょうか。
 
 
 
ちなみに、プレッシャーの力、上下の力は下駄を履くとよくわかります。冗談みたいなホントの話です(笑)
本当に、これ、試してもらいたいです!日本人の叡智です!

五行思想と身体感覚

五行思想というのがあります。
あらゆる現象を「水木火土金」に分けて考えます。
これが良いんです。アタマの中が整理されて次の研究へと移しやすくなります。
 
 
 
五行思想をどこかで学んだわけではありません。
今から20年以上も前、鍼灸師の友人にこの思想の存在を教わりました。
以来、何となく、気にして、本を買ったり、ネットを見たり。そんな程度です。
 
 
 
最初に手に入れるのは知識です。
色にも五行があり、四季に五行があります。
私は記憶力が非常に足りないので、何度読み返しても、これまで研究されている五行思想の分類を覚えることが出来ませんでした。
 
 
 
興味はあっても身につかない、使えない、というのは悲しいですが、なぜだか、五行思想だけはずっと、興味を持ち続けることができました。
 
ただ、ある時、ただの知識だったものが身体的にわかったのです。
当然、身体の中にも五行はあります。鍼灸師などはそれを利用し身体を整えているのでしょう。
 
私が実感した五行は肩、肘、手首を当てはめたものでした。
肩の関節、肘の関節、手首の関節。それらがちょうど「火、土、金」に対応している気がしたのです。
 
 
 
細かい説明はまた他の機会に譲りますが、知識が身体とつながった体験でした。
その後、「木」は背骨、「水」は仙骨だ!と理解はつながりました。
 
これが合っているかどうかは分かりません。正当な五行を学んでいる人からすればそんなもの!と言われるかもしれません。
しかし、現時点で納得を得ながら、身体を動かすことができるというのは私にとっては大切な事でした。
 
 
 
身体感覚のおかげで、知識だけであった五行思想への信頼が確かになりました。
五行思想というこの宇宙を説明する理論に信頼を持てるとそこからまた、色々な事を想像していくことができます。
 
 
 
このブログのカテゴリーにある「水木火土金」は五行思想に当てはめたものです。もちろん、勝手に(笑)。
 
私は研究する事、追い求める事がなにより好きなのだ、とわかりました。今こうだ、と思っていることもこの先、新しい理解とともに変わっていくはずです。
その時にも五行思想が助けてくれるはずですし、いつか、五行思想に当てはめられないものを見つけたいとも思っています。
 
 
 
五行思想は宇宙を説明すると書きました。
宇宙は広大です。それは誰もが知っています。しかし、この身体も広大なのです。
誰かが身体のことを小宇宙と言いました。
 
誰もが宇宙に住み、身体という宇宙を持ち生きているんです。こんな凄いものを研究しないなんてもったいない!本当にそう思います。
 
私は勝手に、研究をして、身体で確かめています。最初、自分が研究しているだなんて…と、考えるだけで恥ずかしかったです。
しかし、今では、恥ずかしいと思い、研究を公言しなかった時間の方がもったいなかったなぁ、と思います。ぜひ、ドンドン自分を探してください。

願いが叶わないのではなく、叶っているとしたら…

左右の密着によって気づかされた事があります。こんなにも自分は迷っていたのだなぁと言うことです。無意識の部分なので気づきませんでした。
 
左でも右でも、好みの方に密着させる。すると身体は窮屈になります。動けなくなりますが、実際に仕事をするのは腕や脚です。
これまで、腕や脚の自由を奪っていたのが体幹なのだ、とわかりました。
 
もしかしたら、筋肉、特にインナーマッスルを鍛えて成果を上げようとする試みはこれと似ているかもしれません。
ただ、左右の密着は筋トレが要りませんから、楽々です(笑)
 
 
 
迷いがなくなってきた事で一つ、ひらめく事がありました。
それは願いをどう叶えるのか?と言う問題です。
願えば叶う、それが願望実現の力です。そのためにありがとうを言ったり、笑顔を作ったり、みんな、努力をしています。
 
 
 
でも、もしかしたら、もう、叶っているのが「今」ではないか、という事です。
 
なにかを「手に入れたい」という願望があって、願う、でも、手には入らない。この時、教えは間違っていたのか?と疑いを持ちます。
 
でも、もう、叶っているとしたら。
 
 
 
アタマの中では手に入る、入った!(完了形で行うのがメジャーですよね(笑))、と願ったつもりでも、無意識、心の奥では無理かもなぁ、と思ってしまっているわけです。
 
今、無理が現実になっているところで、努力をして、また、願っても、無理に無理を重ねるのですから、さらに無理が強力になりかねません。
 
まず、この無理の連鎖を止めなくてはいけない、そう思いました。
 
 
 
稽古を通してわかった事は人間は成長すると言うことです。これは人はすぐに飽きちゃう、という意味でもあります。
夢にまで見た世界を手に入れたとしても、すぐに普通になり、飽きるのです。
 
この力を使わない手はありません。
稽古を通した研究は成長力を自分の中に見ることができます。自分には出来る、どこまで出来るようになるのか分からない、という気持ちを得ることが出来るようになります。
 
 
 
一旦うまく行かなかった事に出会ったときは、出来るところまで気持ちを戻します。
一気に戻してもかまいません。
形有るもの、特に値段がついているものであればお金を基準にしてもいいでしょう。
 
とにかく、悪い循環に入っている事を自覚し、その流れを変えることに目を向けるのです。
 
 
 
これはドン底の自分を見つけるという作業かもしれません。
その底からであれば、少し楽になるための方法は見つかりやすいし、うまくいきます。失敗したとしても、ドン底に戻るだけ、また、チャレンジができます。
 
 
 
身体は行動する事の大切さを教えてくれました。
武術の世界では肉体的な行動ではなく、思考的な行動で相手を倒す技も存在しますが、それは、武術で学ぶよりもビジネスなどの世界の方が学びやすいです。
 
行動するときの姿勢、それが思考を助けてくれます。思考的によく分からなくても、納得できる姿勢をとり、行動する。
これも一つの答えです。迷いは特に身体に出ます。その迷いを取ることができたら望んでいた循環に入ることが出来ます。
 
姿勢の力はもっと、見直されてもいいんだけどなぁ。姿勢よりも、成果の方に注意が向けられているのが現代です。
姿勢だなんて、後回し!そんな事を思わず、姿勢を整え、好きなことにチャレンジしてみてください。

感情のコントロール

やるべき事が分かっていても怖いことがあります。仕事でも、日常生活でも、です。
特に現代はあらゆる問題に答えがありますね。
 
答えがないような問題でも、これが答えだ!と大きな声で主張している人はいます。その人間を信用するなら、それは、答えを手に入れたのと同じです。
 
 
 
問題はその答えを実行に移すとき、怖い、と思ってしまった時です。感情が揺れてしまった時です。
 
感情がポジティブに揺れてしまった時には気にしませんが、恐怖のように身体を緊張させてしまうと、せっかく答えを持っていても、それをうまく行うことはできません。
 
 
 
しかし、私たちは普通、義務教育の中で感情のコントロールを学びません。
もしかしたら、近代日本の前は社会全体に「我慢」という雰囲気があり、それによって、感情を爆発させない、とさせていたかもしれません。また、覚悟のようなものがもっと、身近にあったかもしれません。
 
ただ、現代は感情を引き出され、ビジネスに活かされる時代です。
保険、医療など、不安を生み出させて行動に移させます。不安を自覚させ、我慢するという事は決してありません。
 
生み出された感情をコントロールし、次の行動に移すことができるのに、それを学ぶチャンスがありません。
 
 
身体感覚の稽古はまさに、それが学べます。
ルールにそった戦いはルールによって身を守られます。ルールを信頼すれば、感情を揺らさないですみますから有利ですが、そのままでは、現実の社会では役に立たないものになります。
 
 
 
最近はどこも、クレームが多くなっているそうです。誰かが我慢をして乗り切る方法は、いつか、自分に順番が回ってくるかもしれませんから、得策ではありません。
 
誰もが、なにがあっても、心を揺らさないように感情のコントロールができる、と求め始めたらいいのに、と思いますが、中々そういう発想には向かないようです。
 
 
 
最近気づいたことがあります。
これまで、感情と身体は関連が有る、と分かってはいましたが、より、細かく、その関連に気づきました。
 
感情を生み出すのは体の中でも体幹部、特に、上半身ではないか、と言うことです。
体幹部には多くの内臓があります。それに関係しているのかもしれません。
内臓を自覚するのは難しいですが、体幹という肉体は目に見えますし、触れることも出来るので手がかりになります。
 
 
感情のコントロールを求めた時、いきなり、すべての感情を制御する必要はありません。まず第一歩が「ある」とわかることが大切です。
そして、少しずつ、コントロールできるという自信をつけていくと良いはずです。
 
 
 
身体を捻ってはいけない。
 
これが私が稽古を始めたときの手がかりでした。
でも、最初、なにが捻れて、捻れていないかということ自体が分からなかったのです。身体を捻る、捻らない、だなんて、私の中には基準がありませんでした。
 
 
しかし、今、その言葉がまた、私を助けてくれます。
なにかに気づく度にあぁ、こんなにもまだ捻ってしまっていたのかぁ、とわかるんです。
その僅かな捻れが身体を歪まし、その瞬間、感情も動いてしまっていたのを感じます。
 
 
 
手順にすれば、怖さを和らげる姿勢や動きは作ることができます。最初の手がかりとしては良いかもしれません。
しかし、それで安心してはまた、大きなアクシデントで心が揺らされてしまいます。
 
大切なのは自分でなんとかする、と言うこと。
人それぞれ、感情が動くポイントが違います。それを身体を手がかりに確かめていけば、徐々に身体の声というものが聞こえてくるはずです。
 
明日、明後日、感情コントロールを手に入れなければいけないのではないですよね。
一生を通して、自分と向き合うとき、感情は心の状態を表してくれる強力な手がかりです。
 
こんな研究をしなくても、人生は続くし、楽しく過ごせるでしょう。でも、この研究で、自分のことがより深く分かるかもしれません。もし、そんな興味があるなら、ぜひ、チャレンジしてみてください。必要なものはなにもありません。ただ、自分に向き合うだけでいいのです。
そのお手伝いはいくらでも、させていただきます。

バカと天才は紙一重

私は刃物が苦手です。もう、何十年も「武」の世界にいますがどれだけ肉体を鍛えても敵わない「武器」にいつも気持ちが負けます。
 
 
 
しかし、実際の生活で刃物によって襲われる事はほとんどありません。
武道の技を教えていても、今の日本の武道のレベルでは、刃物に対して真剣に向き合う場所は少なくなっていますから、困ることはありません。
 
「刃物が怖い」なんて気にせず、表に出さず、堂々と威張って技を教えていればいいのは「わかります」。
 
しかし、それは本当の自分に嘘をついていることになるので、出来ませんでした。
 
ただ、なんとかしたい、そんな気持ちをずっと持ち続けて研究する事が出来たので、やっと、刃物に対して、向き合う一歩を見つけたわけです。30年もかかってしまいました(笑)
 
 
 
武器を前にして普通でいられるってのは変な感じです。
でも、実は、普通でいられる人は多いんです。
どんなに目の前に武器をちらつかされても微動だにしない人がいます。
 
 
 
その姿をみると、まさに達人!
しかし、その後が…。
 
その後、実際に攻撃をされると当然ながら、やられるわけです。しかも、微動だにせず(笑)
 
反射がないのです。
怖い、という経験が無いからこそ、身体が反応しないのではないのかな、と考えています。
経験もなければ想像もしない。目の前に自分を壊すモノが現れても、変化が起きないのは鈍感だから。
 
 
事が起こる前までは達人と変わりません。達人も鈍感に見えます。
事が起こった後、死んでしまってはどうしようもありません。
達人は鈍感に見えますが、一度事が起これば、超敏感に身体を動かします。
似ていますが、全く、違うものなのです。
 
 
 
スピリチュアルな考え方で行けば、攻撃をされる、という状況すら考えなければそれでいい、と言うかもしれません。
不安という想像も現実になるのですから。
 
 
 
確かに、刃物や拳で襲われることは有りませんが、私たちはこの世に肉体をもって生まれているわけです。
 
歳を取ることによって、徐々に肉体は重くなるわけです。見えない敵が肉体にどっしりとのしかかってきます。特に、日本人は。
 
これは避けられないこと、肉体を持ち、地球に暮らす以上避けられません。宿命です。
 
 
 
だからこそ、私は今から、肉体が使えなくなって行ったときの事を考えます。動けなくなるのが怖いからです。
 
機械や人を使えば自分が動けなくても仕事を出来るかもしれません。でも、私は自分の身体で「動いている」、それを命がつきる最後まで感じていたいと思いました。
 
 
 
歳を重ねて老いたとしても、怖くない。そう思う人も多いはず。
むしろ、死ぬ直前を考えて生きている人を探す方が難しいです。
しかし、それが本当に怖くないことなのか、想像できないから怖くないのか、ぜひ、考えてみてください。
 
その結果、ものすごい恐怖に出会うかもしれません。
こんな怖れは感じたくなかった、と思うかもしれません。しかし、それは自分の中から生まれてきたもの。いつか、必ず芽を出したものです。
 
しかし、それでも、大丈夫。
稽古は生きる死ぬを普通の生活をしながら実感をするもの、出来るものです。
求めれば必ず、答え、納得は得られます。
 
刃物に対して向き合うのに30年かかりました。入り口を見つけるだけにです(笑)

生きること、死ぬこともこの先、ずっと、追い求めるつもりです。何年かかるのかな?でも、その求める間、その時間も研究、稽古は楽しい時間にさせてくれるのです。
そんな楽しい事を伝えたいと思っています。 
 
 

ドン底のさらに底

身体を半分にする内観を使い、息をするのも精いっぱい、そんな姿勢を作りました。

「ドン底」の姿勢です。
 
この時、敵が現れたとするとどうなるか?
ドン底なのに、そこにさらに敵が加わります。
ドン底ですからもう、その下はありません。身体の下にあるのは「地面」のみです。
 
 
 
身体があって、地面がある。
こんなに恵まれていることはありません。
どんなに外に嫌なことがあっても、足元には地面があります。
どんなに自分の中に力がないように思えて、がっかりしても、地面があれば、それを活かす、いや、それに助けてもらうことができます。
 
 
 
便利な機械やサービスがあると、自分の身体を使わず助けてもらえるかもしれません。
しかし、そうして救われると、「また、ドン底に落ちたらどうしよう?」、そんな怖れが出てくるかもしれません。
 
自分がなにも持っていなくても何とかなる、それを身体は教えてくれます。ドン底になってもなんとかなる、そんな思いこそ、自信の源になります。
 
 
 
運命という重い言葉。
何とかしよう、何とかしたい、生きること、生きていることを実感したい、と思った時、身体で感じる事ができます。
 
自分の中で大きく、重くすればするほど、納得へは時間がかかります。
しかし、稽古は研究そのものです。
自分の身体を通して、少しずつ分かることが増えると自然に持っている疑問も解決していきます。
納得を得るための便利な機械もサービスもありません。自分が自分で求めるぞ、そんな決意だけが納得への入り口です。
 
 
 
稽古の仕方、研究の仕方はいくらでもお伝えします。意外と簡単なんですよ。
ぜひ、自分の人生を実感してください。
 
 
 

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