日記・コラム・つぶやき

コツを学び、コツを伝える

 習い事では必ずと言って良いほど「コツ」があります。少しでも上達を目指した時にはきっと「コツ」を知りたいと思うでしょう。習う側もそうであれば、伝える側も同じようについつい「コツ」を教えてしまいます。
 
  大抵の場合「コツ」は分かりやすく、効果が出やすい。よく分からないけど、「肘を返すと力がでる」とか、そのままやろうとせずに「別の事を意識しながら」やってみるとか。聞いただけで効果が出るものが多いですから、頼ってしまうのですね。
 
  教わる側も教える側も「出来る」という結果がついてくるのでうれしいわけです。けれどもそのコツが「効果的」であればあるほど、依存してしまいがちになります。コツを使って技が出来るようになっても、それを自分が消化しないと次の問題が出てきた時にはまた別の「コツ」が欲しくなるでしょう。上達しているつもりになっているだけでコツのコレクションをしてしまっている事も良くあります。
 
 「結果」だけを求めているのならコツを知れば知るほど「出来る」が増えていきますから、いいのかも知れません。でも「結果」は誰かと比べてこその結果ですから、いつかは終わりがきてしまいます。一番以外は価値がない世の中って苦しいですよね。
 
  コツを知ることでそれまでできなかった動きが出来るようになれば楽しいですよね。身体を通して自分が変わる事を実感する事が出来ます。コツを知る前と知った後をよく見比べる事で、自分がどう変わったのか、どう成長したのかが分かるような気がします。
 
 自分の変化がわかるようになると、「結果」がそれほど気にならなくなりますよ。出来なかったとしても必ず「変化」している事があるし、出来たとしても「もっと良くなる」ところが見つかるようになります。そうなると自然と自分に必要な動きを稽古していけるようになります。コツを通して変化を学ぶ事こそ大事だと考えています。
 
  自分の変化がわかってくるようになると、その変化の理由を聞かれるようになります。自分のカラダやココロが変わったという事を「感じる」事は一瞬ですが、それを言葉にするとなると大変な事です。伝える側は自分が一番大切だと思っている事を取り出して説明するでしょう。誰かに伝えようとする事でコツが生まれてくるのですね。
 
  なんだか世の中では「言葉」の力が大きくなっています。でも言葉の持っている力は一面的です。同じ「赤」と言ってもそれぞれ想像する「赤」は違うはずです。言葉の持つ力を知った上でコツを学び、コツを伝えていけるようになりたいですね。

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反応させられて、反応させて

昨日は四日市の稽古会。4人での稽古でした。内初めての人は2人。そしてもう一人は「伊藤」君。

こういうメンバーになれば稽古が予定しない方向へと進んでしまう。初めての方に一通り説明をして稽古できるようになれば、あとは研究一直線です。

途中は省きますが、どうやら私たちは相手の動きに「反応」させられてしまう事が多いのではないでしょうか。

「反応」させられてしまった時点でどちらが優位に立っているかは言うまでもありませんね。

そしてこれは「動き」に限った事ではありません。それぞれのココロをみても、つい「反応」してしまっている事って多いかも。

これが影響力なのか、存在力なのか・・・。そんなことを考えました。
むつかしい?

ちなみにこれを意識しながら技を行なうと、自分でどう動いているか、どう動こうか・・・という気持ちが消えちゃいます。
定例稽古まで1週間。果たして言葉にまで持っていけるか・・・。

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2007/12/7 看護士のみなさんと

この2週間ほどアクテノンに名古屋市内の病院に勤める看護士の方が稽古に来られている。女性なのでどうしても看護の現場では体力的につらい場面もあるみたいです。ただそれが当たり前の世界ですから、仕事となれば我慢をするしかないのでしょう。

カラダラボの稽古手に入れてもらいたいもの、それは自分の未来に対して希望を感じれるような心です。まだまだ自分の身体には気づいていないものがたくさん溢れているという事を知ってもらえるよう頑張っているつもりです。

技術的なものは意外に早くできるようになるんですね。邪魔をしているのは「自分には出来ない」と思っている自分の心ですから。「いい加減」に考えた方がいいですね、完璧を目指してはいけません。

さてその看護士さんたち。病院内にて「古武術式」がにわかに盛り上がってきたそうです。おそらく今日稽古に来られた人たちの意識が変わってきて「楽」そうに仕事をしているのが伝わったのではないかと思います。体力的にも、精神的にもね。人は強制されては動きませんから、彼女たちの気楽さの元に興味が出たのでしょう。

初めてお会いしたのが6月ぐらいですから、半年ぐらいですね。その間稽古に来られたのは3回ぐらいですから、自分自身で自分を見つめるという作業が一番大切なのが分かります。たった数回の稽古で人に興味を持ってもらえるようになるわけですから、普通の「技術講習」ではありえません。

嬉しい事に彼女たちから病院内にて講座の依頼をうけましたので、この先プロの目線でドンドンと育てていって欲しいとおもいます。

時間の空いている限り、出張講座、稽古も行いますので気軽にお問い合せください。

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子供たちの輪に入ってみた

普段道場では子供たちの接しているので、普通の大人と比べれば子供たちの行動もわかっているつもりだし、扱いもなれていると思う。

しかしその考えは甘かった・・・彼らは凄い。

今日子供たち(近所の小学2年生10人ぐらい)と公園で遊ぶ。その10人の集団のまとまりのなさと言ったら、もう面白すぎる。一人一人が個性があり、後ろに行く子、やたらと命令口調な子、なにを考えているか分からない子など、様々だ。

その集団が遊びだすと一つの形が出来る。
ただその形は大人である自分には理解がしづらい。

今日は野球をやっていた。
タツキの父さん、ピッチャーね、と言われ素直にピッチャーをする。なぜかベースを自転車で走り回っている子がいる。そしてグローブも持たずに黙々と玉拾いをする子、彼はどちらのチームにも属していない。虐められているのかと思ったが、そうでもないらしい。

気がつけばボールが2つ。バッターが二人。そして守備がいなくなっていた。いつまでたってもアウトが取れない・・・ずっとピッチャーじゃん、これじゃあ・・・。

なんかへんだな、と思っていると数人がドッジボールを始めている。おかしい、なにも掛け声はなかったはず。以心伝心なのか?

これだけぐじゃぐじゃな環境でも彼らはそれを受け入れて楽しそうに遊んでいる。大人のルールでは説明のつかないものがあるのだろう。

そう考えてみると、大人のルールって最低限の守るべきものというより、わかりやすい数値目標な気がしてきた。複雑に絡み合っているものを収める力がなくなってしまったからこそ、最低限のルールで縛っているのかもしれない。

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テンセグリティー

ちょっと時間が出来たので気になっていたテンセグリティ-を作ってみる事にしました。(実は以前にもチャレンジしてけど、その時はあえなく撃沈しました・・・)

材料は輪ゴムと割り箸。インターネットで作り方を探し、早速挑戦。

やり始めてみると、これがなかなかややこしい。不器用なのは昔からだけど、それ以上に頭がこんがらがります。なんだかパズルのようです。そういえばパズルも苦手だったなぁ~。

それでもなんとか作り上げる事が出来ました。

Ten1

 

 

 

 

12本にもチャレンジしてみましたがこれがさらによくわからん!!

なんとか形は崩れずに組めたものの、どうもイメージと違う・・・。設計図がある事の大切さをしりました。

ただ設計図がなくても楽しさを感じる事ができるのも事実。あれこれ考えながら試して失敗して、また試す。これが楽しめるようになったのも、身体の稽古のおかげかなぁ。

Ten4

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四日市中日文化センターでの講座がスタートしました

カラダラボとして初めてのカルチャーセンターでの講座が始まりました。ココ最近の古武術のブームなのか、得体の知れない「カラダラボ」「山口潤」という講座にも大勢の人が集まってくれました。(ほっとしています^^)

浜松の講座にはキャンセル待ちも出ているということで、力が入ります。(入れてはいけないんだけどね)

さて稽古のほうですが、先日の碧南での介護稽古会の経験がとても役に立ちました。普段の定例稽古ではすでに何人もの「自発的な研究稽古」が出来る人が育っているので、こちらとしてはとてもやりやすい、というか、各自がテーマを持って研究するという流れが作りやすいのです。

この中日文化センターの講座の行く行くはそういった流れに持っていきたいと思っていても、さすがに第一回目からはちょっと難しいかなぁ~と思っていました。

・・・ところが、アシスタントとして同行してもらったアクテノンの伊藤君がうまく流したのか、介護を仕事としてされている女性のグループにはうまくそれが伝わってしまいました。なんと新しい発見や工夫をすでにやり始めてしまったみたいです。

先生、生徒という関係では普通、先生に遠慮したり、失礼が合ってはいけない、と思われるかもしれない。その「影の力」でまだまだ抵抗できるのに技にかかってしまうという事もよくあります。
甲野先生に始めて会ったときに、遠慮なく、もっと抵抗していいですから、と言われました。そんな事を言われる先生って普通はいません。

その不思議な稽古法は自分の力、相手の力、そして気持ちまでゆっくりと混ぜ合わせてくれます。自分の100%をしっかりと受け止めてくれる安心感はその先の稽古の質を劇的に高めてくれます。

ですからカラダラボの稽古でも、まだまだ抵抗できるようなら、どんどんと抵抗してくれてもOKです!遠慮なく行きましょう。
技のかからない相手とともになぜかからないのかを「気持ちよく」研究できる稽古会を目指します。

※連絡
次回の四日市中日文化センターの講座の後、近くのすわ公園交流館2F(1Fから変更です。)にて稽古会を開催します。
来週の浜松の稽古会の後にも場所を借りる事が出来ましたので詳しくは講座予定を確認してください。

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古武術介護in碧南

愛知県碧南市にてラボ・パーティを主宰されている榊原さんから依頼を受けて介護の技法の講習に行ってきました。

外部での講座は初めてでしたので、どう進めようか、何を伝えようかと、前日まであれこれと資料を作ったりしてバタバタしましたが、参加された方が真剣に話を聞いてくださり、いつもどおりの力が出せました(ホッ・・・)

今回勉強になったのは幅広い年代、しかも女性に向けての稽古ができたこと。30代から80代でしたから。今まで道場に来てくださる人は、男性はとくにですが、力に対して抵抗力を持ってくれている人が多いんですね。

だからこそ、まずは力いっぱいやって、普通では無理、というのを感じてもらってから術を使っていく流れでした。それがもう、普通にさわったら折れてしまいそうな腕ですから、とにかく壊さないように壊さないように、やさしく、接触感度を上げながら説明しました。

これがいいんです。すごく。自分が驚くほど、やわらかく、やさしく動いているのが分かりました。短い時間でしたが、その生な力ではない感触がなんとか伝わったようで、講座終了後暖かい言葉をたくさん頂きました。嬉しいですね!

さっそく榊原さんが講座の報告をしてくれました。

アシスタントの伊藤君、写りがいいなぁ・・・

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親子稽古会

カラダラボのサブタイトルは「子供に伝えたいカラダの感覚研究会」。

とはいえこれまで、「親子」に絞った稽古会は開いてこなかった。当初は全部混ざることでいろいろな気づきが生まれるんではないかと思っていたから。

ただ、それはこちらの思い違い。今でこそ自分も稽古を楽しめるようになったので、フリースタイルな稽古にいろいろ利点がある事がわかったけれども、始めようかと思っている人にはそれは無理な注文だったのかもしれない。

というわけで、親子の稽古会を新設。昨日介護の研究稽古会の前に時間を作りました。

ただWEBを見てもらえば分かるとおり、親子関係を直接的によくするコツは何も書いていない^^

コツは渡されるのではなく、自分の感覚を頼りに子供との関係を作っていってほしいと思っている。甲野先生と出会った頃は大学を卒業したばかり、当然結婚もしていないし、子供もいなかった。道場では子供たちを指導していたといえ、「子育て」ということを真剣に考えた事もなかった。

それがいつの間にか、3人の親となり、自分がどう子育てに参加していくかを考えていく事になる。そんな時にやっぱり頼りになるのが、自分の感覚。マニュアルとしてのコツだけでなく、お互いの中に生じる感覚を身体を通して感じる事でいろいろな事に向き合っていく事の楽しさを知りました。

子供の視点にまで自分が入り込んで、何を感じているのか、どう伝えていくのか。どこかで見聞きしたマニュアルも、それを使おうとするときには、どうしても違和感がでてしまう、それはやっぱり自分の言葉、動きではないからだろう。

もしかしたらそのマニュアルは型なのかもしれない。その型に自分をしっかりと埋めていけるように練っていかなくてはいけないのかな。

子供たちは皆自分の言葉と感覚で話している。こちらは本音や建前でついつい答えてしまう事も多い。この先親子の稽古会がどうなっていくかは分からないけれども、身体を通して子供に生きる事の楽しさを伝えれたらいいなぁ~

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勇気100倍♪

 先月から稽古に来ている、小児科医の女性がいる。彼女は弱い自分、勇気がもてない自分を何とかしたくて来ているらしい。
 
 自信が持てないというのは僕も同じだったので、はじめて稽古にきたときに、自分がカラダを見直す事で変わってきた事を伝えた。普段振り回されっぱなしのココロを感じるのは、カラダを通すのが一番だと思っているので、普段の稽古がどう気持ちにつながっているのかを話した事は覚えていた。
 
 その彼女から先週カラダの奥から震えるほどうれしい言葉を聞く。
 
 「死にそうな患者さんが来られたとき、頭痛がして、手が震えるんです・・・、それが先生の言葉をきいて無くなったんです。」
 
 すごいのは彼女である。現実に生きるか死ぬかを自分が背負って生きているわけです。その重圧ってすごいと思う。言葉に書く以上に、その現場にいれば感じるに違いない。それを彼女はずっと経験してきての言葉だ。カラダの楽しさ、可能性を伝えたい、と思っている自分にとってこんなに勇気付けられる言葉って無い。
 
 10月からはこれまでとは違った形で指導もはじめる事になる。一歩を踏み出す前は、未熟な自分にできる事、伝えれる事があるのかと、考えて悩んだ事もあったし、今でも手探り状態は続くけど、こんな言葉を聞いたからにはやる気が出ないわけ無い!頑張ります。

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初心者用の時間作りました。

明日の日曜は定例稽古。

今回は初心者用の時間を作ってみました。というのは、まずは稽古の仕方、考え方を分かって欲しいから。稽古になれてきた人と、はじめてきた人、楽しんでもらうにはやっぱり分けたほうがいいかなぁ~と思っての事です。

まずは分からない事、聞きたいことを遠慮なくぶつけてください。

先生にいろいろ聞くのはなんか失礼ではないか?そんな事を思う必要は全くありません。

僕が甲野先生に出合った頃もそうでした。こんなに意地悪に持っていってもだいじょうぶなのか?と思うぐらいに責めさせてもらいました。

とにかくやらせないように、遠慮は要りませんよ、との言葉に最初戸惑いを感じましたが、それが先生にとっても稽古になっていたんですね。今その気持ちがようやくわかるようになってきました。お互いが研究者としていい稽古ができるといいですね。

まだ人数的には余裕があるので、どうぞ。

定例稽古会

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やっぱり少林寺拳法は楽しい

少林寺拳法も夏休みが終わり、今日から稽古が始まった。

子供たちも目標としていた大会を終え、それぞれ新しい目標を作り稽古をしていかなくてはいけない。しばらく担当するのが中学生、2段を目指す子達だ。受検も控えてなかなか複雑な時期に入っていくけれども、楽しんで稽古できるように指導していこうとおもう。

久しぶりの稽古になったけれども、やっぱり稽古は楽しい。特に武術・武道・少林寺拳法は。改めて二段技を見てみると、これまで気づかなかった事がいくつもあり、それを子供たちに伝えていると、自分が一番生き生きしているのがわかる。

今日特に気づいたのが、技そのもの違いに気をつけるのではなく、体捌きの重要さ。言葉としてはあたりまえ、基本中の基本の体捌き。でもそれを意識して、漠然と行なう体捌きとの違いを感じて欲しい。相手がついてくるのを手で受ける。これ間違い。いや、間違いではないんだが、2段でそれを行なうと技として成立しない。自分のレベルに合った動きが必ず在るということ。

相手が突いて来た時、自分のドコで対応するか、そこでレベルの違いが分かるはずだ。手で受けていれば、当然身体は動かない、傍観者となってしまう。じゃあ腰か?腰をどう動かすかも重要。廻してしまえば弱い部分が生まれてしまう。つまりスキができると言う事。そんな事を意識しながら、実際に動いて、タイミングを見せる。子供たちがすごいのは、なんとなくでもやってしまう事。大人はそうは行かない・・・。

ただ彼らのもったいないのは、我々大人が見れば羨ましいほどの頭の柔らかさも、それをありがたがっていないと言う事。あぁもったいない・・・。

いや、これは指導者の問題だな、私が悪い。

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自然の中で考え、感じた事

先週末の道場の子供たちとの遠征から、怒涛の一週間が過ぎました。帰省ラッシュに巻き込まれながらの大会参加は大変でしたが、引率してくれた先生、父兄の力に改めて感謝したい気持ちでいっぱいです。

帰省ラッシュも大変でしたが、何より気になるのが連日の猛暑。先日岐阜では「40.9℃」の信じられない気温が観測されたそうです。このお盆休みに妻の実家へと帰省したのですが、いつもは夏でもクーラーのいらない気持ちのいい山の中なのに、名古屋に負けず劣らずの暑さが・・・。名古屋よりもまし、と言い聞かせつつ山の中で充電してかえってきました。

久しぶりに自分を見つめる時間を、すごす事が出来て、今までの事、これからの事、自分の事、世の中の事、色々と考える時間となりました。

特に木々に囲まれた冷たい川の中で空を見上げながら、プカプカと流されていると町の中にいたときよりも大きな事を考えてしまいます。師匠の甲野先生が言われていた人間にとっての自然とはなにか、ずっと考えていたつもりでも今回ほど切実にそれを意識した事はありませんでした。

とにかく矛盾をはらんでいる世の中でどう生きていけば良いのか。見方によってその考えはコインの表裏のように立場が変わってきます。自分以外の情報が氾濫をして、その周りによって自分が形作られているような生き方はしたくないなぁと・・・。

大きい事、小さい事、色々な決断を日々しているけれどもその一つ一つに自信が持てたら、生きるという意味も見えてくるのではないかと考えてきた。おそらくこれは先週のアクテノンでの気づきからきているのだと思う。あれからずっと自分の中の無意識の大きさに気づき、それを意識の中でどうにか活かすことができないかと考えている。例えば足を一歩出すのにも無意識ではそれを上手にこなしていたとしても、いざそれを意識するととたんに動きが小さくなってしまう。

この時自分がドコに足をだせば一番納得がいくのか、考えるのではなく、感じるように頭の中で検索をかけると見えてくる線があります。そこに足を置いてみると、なるほど、ここしかないなという気持ちになる。ぼんやりとしか手がかりがつかめないし、一人稽古でそれを確認するにはまだまだ力不足でなんともいえないけれども、今までのように「頭」で考えて工夫するだけでは見えてこないものが見そうな気がします。

もう少し頭を整理してまとめて行きたいと思いますので、次回、26日の定例稽古会にはまとめれるように急ぎます。

それにしても川から上がった後、改めて日差しを浴びると地球という親から叱られているような気持ちにさせれました。自分に何が出来るのか、一人一人が真剣に向き合う事が必要なんでしょうね、たぶん。

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アクテノンマンガ教室

今週のアクテノンは変則で木曜日に開催。夏休みという事もあり、わざわざ遠くからGさん親子が参加してくれました。

Gさん自身、もともと自分一人で稽古を続けてきたつわものです。小学生の息子さんも一本下駄で走り回れるほどの実力^^

カラダラボの稽古にもなれてきたので、そろそろエンジン全開で研究モードで稽古を開始です。

自分の身体の内側に目を向けて、その気持ちよさに導かれるように姿勢をとっていきます。身体の外を繋げていく稽古から、内側を広げていくように・・・。

ついつい肩甲骨の操作が気になるようで、力が入ります。

これが今のGさんの強さの源のようですが、これにこだわってしまうと次が見えなくなってしまうのでは・・・と言葉をかけると、すっと抜いてくれるのはさすがでした。何とか内側の強さも見え出したところで、お子さんの方へ目を向けると・・・。

世話人の伊藤君が絵の書き方を指導。カラダラボ・アクテノンマンガ教室が開かれていました。伊藤君は身体の稽古で得た感覚を「絵」にどう生かしているかを常に考えている人間です。彼が小学生を捕まえて教えているのは、ぐじゃぐじゃな線の中から絵を「探し出して」書く方法です。

小学生の彼が最初に書いたのは、オリジナル恐竜「ギドラン」。

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上手にかけていますが、やっぱり子供っぽい絵に見えます。

伊藤君に言わせると、これは頭の中で作っちゃったものを絵にしているそうで、目を書こうとして目を書いたり、口を書こうとして口を書いているので、動きがないそうです。

僕には以前、コップを書こうとしてしまうと絶対にうまくかけないから・・・と教えてくれました。頭が勝手に作っちゃうそうです。

 

 

 

そして指導をはじめて書いていった絵がこれ。

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これの元になったのは恐竜ではなく、キャンバスにランダムに描いたぐじゃぐじゃな線から出てきているんですね。素人目に見ても生き生きとしている感じがします。

これを書いた本人も自分で書いたのが信じられないといっていました。

意識的に書いたのではなく、ランダムな線の中から「見えてきた」絵は無意識なんでしょうね。

 

 

 

・・・じつはこの後この無意識の線を見つける事を技に戻してみたときに、面白い変化がありました。

明日からは東京なので、返ってきたらカラダラボのホームページにアップします。

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8月の介護技法の研究稽古会

日曜日は介護技法の研究稽古会。今回初めて公の施設を借りて行なう事になりました。
まぁ「カラダラボ」で借りていくわけですが、なにするの?ときかれ「古武術介護です・・・」と言った自分がなんだかなぁと思ったりして・・・(分かる人にはわかります?「古」の問題^^:)
とにかく名前がないのはやりづらいと改めて認識しました。

まぁ外の人がどう判断しようが、稽古が始まれば自分の内側に目を向ける事になります。
稽古している技法は「介護」でもカラダを使う事、意識する事、感じる事は変わりないわけです。コツとしての「やり方」だけを伝えるのは僕の仕事ではないだろう。

自分のカラダを通して、自分の可能性を見つけ、そこに楽しさを見つけていってもらえたらうれしい。実際に稽古に参加された方の驚きの笑顔を見るとすごくチカラを頂けます。

介護の稽古会は具体的な質問があがって来ることが多い。真剣さはどの稽古会でも変わらないけれども、具体的になって来れば来るほど、こちらの応用力が試されてくるので、すごく勉強になります。なんとかヒントの一つでもお返ししたいところです。

今回の稽古でも寝ている人を無理なく動かすには、という質問を頂いた。チカラ的には抱き起こしや添え立ちよりもいらないと思う。実際に移動量が少ないので。ただその分微妙なチカラ具合は必要なのかなと感じました。

普段のやり方を聞きながら、自分の身内がそういう立場ならどうする?と自分に問いかけながら、頭と身体をフル回転させて、思いついたのは「1mm浮かすという事」。

これは物理的な接触がある以上そこには摩擦が生じます。その摩擦のせいで、相手の体重が重くなったり、軽くなったり・・・同じ重さでも変わってくるわけです。抱き起こしにしても添え立ちにしても、実際に起こしたり立たせたりしなくてはいけないので、どうしても持ち上げる感覚が消えにくいです。腕を意識しないようにと思っても動いてしまうのが人間ですから。

でも寝ている人をそのままの形でちょっと違う場所へ・・・と考えると寝ている人の形を変える必要はありません。というわけで寝ている人の背中と腰にそっと手のひらを差し入れてみます。そしてここからが「1mm」、手のひらから体にかけてのアソビをとるようにして、「1mm」浮かせます。5cm上げるのは大変ですが、1mmなら何とかなるんですね、ただし手ではダメです。少なくとも指を意識するぐらいではないと。

腕のアソビをとることで浮いてきたら、その他の場所をつかって移動してあげるとすこし楽な気がします。割り切って説明すると、手で浮かす力が一つ、体重で移動させる力が一つです。その二つを混ぜることなく、別々に存在するようにすれば良いのではと思いました。

実際に現場にフィットするようにするには感覚を自分のものにする必要があるとは思いますが、武術の技として今日応用してみたところ、意外といい感じです。自分が思っていた以上に腕には仕事をさせていたようで、その負担を軽くしてあげるだけでも効果がありましたから、抱き起こしが分かるぐらいの感覚があれば軽くいけそうな気がします。

稽古当日は岐阜でも37度を記録したとか・・・暑い中ご苦労様でした。

感想文の中で施設へ指導に来てくれたらうれしい、と言って頂きました。うれしいですねぇ♪
私で出来る事があればお手伝いしますので気軽に声をかけてください。

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稽古で救われるって、あるな・・・

 実は先週の1週間は人間にとっての「自然」とはなんだろう・・・と大きな問題を抱えてしまって少々つらい時間を過ごすことになりました。

 この「自然」という大きな問題ですが、自分が甲野先生の技を稽古する中で、考えているように思い込んでいただけで、高いレベルでそれを体現している人の動き、言葉を実際に見て聞いて肌で感じると、自分のこれまでの稽古の姿勢、これからの稽古の方向性がなんと甘い事だったか~、と痛感させられてしまいました。
 
 悩み、問題が生まれてくると、すぐに答えを求めていきたくなってしまうのは人間の悪い癖なのか、ついつい自分の稽古に甘く言い訳を考えてしまいます。答えが見つかりそうになった時、自分はこれで行こうと考えても、それは自然を不自然に繕っているような感じで袋小路に迷い込んでしまいます。
 
 そんな中で助けてくれたのがやはり稽古です。頭で考えても分からない事をカラダを見つめる事で、自分なりの行き先を決める事ができるから。決めた以上はその道を歩いていくしかないな、と思っています。後で後悔だけはしたくないなぁ・・・と。自分で決めた道ならその後悔も減ってくれると思いますから。
 
 大きな出来事は稽古に来てくれている仲間の変化です。今まで出来なかった事が、自分のカラダの見方一つで出来るようになった時に見せてくれる笑顔は、自分の行動を力強く後押ししてくれます。もちろん単なる技のコツを伝えただけでは、逆にその人の伸びしろを奪ってしまう事にもなりかねませんが、自分という存在を見直すきっかけを与えれたかなぁと思えたときの喜びはもうカクベツです!
 
 金曜日の深夜の稽古から土曜、月曜日にかけて珍しく個人稽古が続きまして、いろいろな事を感じさせてくれました。それでも時代の流れが変わってきたなぁと思うのは、稽古に来られた方が、多種多様であるという点。テニスを20年やってきた人、ビオラのプロとして活動して見える音楽家、家族で参加してくれている人、もちろん介護、武道に問題意識を持っている人もそうですが、とにかく「種目」という枠がなくなってきて本当に刺激を受けています、私自身が。
 
 私が稽古をはじめたのは「技」がきっかけですので、想像力は必要なかったのですが、武術的動き・思想を見て、感じて、自分にも、自分の抱えている問題にも取り入れれるのではないかと思われる点で、すでにすごいです。自分の想像力が高まっている時点で新しいものを受け入れれる下地が出来ているわけですから。
 
 稽古で私がいくつかのアドバイスをして「ハッ」としたとしても、それはもう稽古する側に気づくための準備が出来ていたからだと思います。だからこそ自分ができるようになっていったことをしっかりと見つめて、認めてあげてほしいなぁと思います。

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口出し厳禁!

ちょっと時間が出来たので夏休みで暇を持て余している長男を連れてバッティングセンターへ。

2年生の彼はバッティングセンターははじめて。どう?と聞いてみると・・・
「怖い」との事。さすが我が子だ(笑)

まぁ自分でも久しぶりにきたバッティングセンターで日ごろの稽古の成果を確認したいわけです。
お手本を見せるからといいつつ、自分の世界に入ってみる。

バットを振らずに、引かれるように・・・しっかり立たずにふわりと立って・・・、ボールに対して重心が向かっていくように・・・といろいろ工夫をしてみる。時折良い当たりもあったものの、やはり畑違いなものに応用するのは簡単には行かないなぁと。

3打席終わったところで子供を確認。交代してみる。
さすがに軟式では難しいだろうと思って、ソフトボールのコーナーへ。

初めて打席に入るだけに、ついつい口を出してしまいそうな感じになってしまう。
でも口に出してしまうのは良くない事だと身に染みて分かっている。こちらが出来る事は彼が気分よくバットを触れるようにする事だけ。

普段の稽古でもそうなのだが、カラダラボの稽古に来てくれる人もすごく素直な人が多い。学ぼうという意欲が高いのだ。そんな人たちに応えたくて応えたくてついつい口がすべる・・・。分かって欲しくて説明を重ねるが、それが本当にいいことなのかどうか・・・こちらの意見を押し付けているだけではないだろうか・・・自己満足の説明になっているのではないか・・・と考えてしまう。

大切なのはやっぱり興味を持ってもらうこと。興味を持ってもらえさえすれば、あとは自分で課題を作って、自分なりの答えを出していってくれるだろうと思う。いや、そうでなくては自分の人生を生きていく事など出来ないと思う。

わからない、ということはとても大切で、分かったつもりになってしまうのがすごく怖い。私もわかったと思ったときにはいつも、自分に問い掛ける。それはわかったつもりではないのかと。
分かったと思った瞬間に、その事は自分の頭から出て行ってしまう気がするからだ。

ちょっと横道にそれたが、わが息子。
3打席、100球近打って、当たったのが5球ぐらいかな?
どうなんだろうか?楽しい気持ちは残ったのだろうか・・・。

何とか今回は口を出さずにすんだけど、親も勉強なのだと思いました。

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台風に負けてたまるか・・・個人稽古

台風の影響で名古屋も雨風が強い一日でした。その中わざわざ個人稽古にきてくれたK山さん。これまでの定期稽古にはほぼ出席の皆勤賞。今回はじめて個人稽古にこられました。

K山さんは普段の稽古では聞き役になることが多いので、やっぱり聞きたいことが増えてきたのかなぁと思っていると、彼いわく、

「カラダを通してでしか、分からないですから・・・」

思った以上に僕が伝えたいと考えていた事を分かってくれていてとてもうれしかったです。

わかりやすい言葉には気をつけなくてはいけなくて、分かったと思った瞬間にそれはもうココロには入ってこない気がします。安易に分かったと思ってしまうとその後の発見や気づきはなかなか出てきませんから。

さて個人稽古ですが、時間的には2時間ぐらい。これぐらいが丁度いい感じです。普段は個別の技にどうしても時間を取られてしまいますが、技は結果としての形ですから、その技を成り立たせるために少しずつ考え方を変えていく事が大切です。

例えば重心操作。普通に暮らしていると、どうしても自分が不安定になる事が怖いんですね。すこしでもぐらついたりすると、一気に自分の制御圏内を飛び越えてしまうんです。甲野先生も言われていますが、「不安定のつかいこなし」を考えてみるといいでしょう。

いきなり転ぶような稽古はさすがにお薦めできませんが、座った状態での前や後ろ、横への転がり、つまり受身ですね。筋肉主導でヨイショ!というのではなく、倒れていくようにふわっ~っと転がる事もいいでしょう。

自分の重心を感じれるようになってくれば、それを制御しながら稽古をしていけばいいわけです。その方法の一つが壁抜け。重心を腕に近づけて自分のカラダの限界を感じます。そしてそのカベを動かさないように自分の重心をそとに動かしていくわけです。

この時自分が倒れないのは相手がいるから。相手との相対バランスのおかげで倒れないわけです。自分が不安定になる事に対して過度に怖さが残っているとなかなか難しいですが、やれてしまうと自転車に乗るようなもので恐怖はなくなります。

今は重心としてお話をしましたが、それをココロといったり、意識といったりしても構いません。自分がカラダだと思っているものよりももっと深いレベルがあるということを分かってくれたと思います。

個人稽古の良い点は話をきいているだけではすまない所ですね。大勢の中の一人ではウンウン、と頷いていればいいですが、1対1ではそうは行きません^^
積極的にこちらも聞いていこうとしますし、なんとか言葉にして欲しいなぁと思っているわけです。それは言葉にする事で自分がそれまで意識していなかった部分に気づく事ができるようになるから。

私自身も今こうして変わってこれたのは、甲野先生との物理的な距離のおかげで名古屋での稽古は自分が引っ張っていかなくてはならなかったから。自分の感じたことを素直に伝えて、それを研究していくしかなかったからだと思います。多分いつもお会いできるような環境であれば、べったりと通っていたと思いますが、それでは自分の考えを育てていく事はできなかったでしょう。

まずは自分の感じている感覚を相手に伝える、それを意識してもらって、言葉にしてもらう。その繰り返しの中で自分なりの新しい感覚をつかんでくれればうれしいです。

とにかく甲野先生との個人稽古では、技以上にその場にいることがうれしかったわけです。その稽古のおかげで自分の稽古のモチベーションがどれだけ上がっていった事か・・・。自分にそんなことができるかなぁ、と不安になりますが、動きと一緒で日々研鑚です。

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英才教育♪

Ei ミラーニューロン、スイッチオン!

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どこまで行くんだろう、古武術は。

月曜日のテレビ朝日の報道ステーション、みましたか?

大きく特集されていましたね、介護と古武術の取り合わせが一般的には想像がつかないので話題になるのでしょう。NHKでは何度も取り上げられてきましたが、民放、そして看板番組での特集だけに反響も多いでしょうね。

実際、甲野先生のサイトのカウンターも番組終了時からドンドンと上がっていましたし、その影響でかカラダラボのサイトのアクセス数もグッと上がってきました。

番組自体も見せ方が上手なのか、よくまとまっていたのではないかと思います。

甲野先生の動き自体が単に古武術と言っていいのか、実際に古武術介護といったときに古武術を稽古しています、と単純にはいえない難しさがありますが、なにより現場で楽に仕事ができるのであれば何でもいい!と思いますが、どうでしょうか^^

番組の中で印象的だったのが、甲野先生には悪いですが、実際の現場で使われていたヘルパーさん達です。動きもさることながら、自分の口でしっかりと自分が行っている事、工夫している事がはっきり伝えれる、それってすごく大事ですなんです。松岡さんを抱えたヘルパーさんも自信がみなぎっていましたね、ああいう人に介護される人はいいですね。

実際に介護されている方が、長年負い目を感じていたと言われていました。それってすごくわかる気がします。もちろん,私は今介護される立場にいませんが、稽古していて、自分を持ち上げようとしていると、つい『ごめんな、重くて~』とつい思ってしまいます。そういう気持ちを持たせる事自体がやはりまずいんですね。自分は平気だよ~ふふん♪と鼻歌交じりに楽しくされれば楽しいじゃないですか。

これは子供たちを見ていてもそう。小学生の低学年ぐらいであれば、だれでも子供たちの全力を受け止めてあげる事ができますが、これが高学年、中学生、それこそ高校生、大学生ともなればさすがに難しいと思ってしまいますよね。そして子供たちにそれが伝わってしまえば、子供たちは無意識に親、大人に大して遠慮が出ます。それをなくしてあげたいわけです。

少林寺拳法の練習の中で時々自分に対して子供たちに限らず、大人まで全力でぶつからせます。それを一生懸命受け止めるのではなく、余裕を持って受け止めてあげると、彼らはすごく喜ぶんですね。小学生なんかは何度も何度もチャレンジしてきてすごく微笑ましい、可愛いもんです。気持ちを受けてもて上げる事はもちろん大切ですが、実際にカラダを通して直に確かな感覚として受け止めてあげる事はとても大切な気がします。

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7月の古武術介護の研究会

7月8日はカラダラボ、古武術介護稽古会を行いました。
写真がとれなかったのでこのサイトの画像で勘弁してください^^;

月一の稽古会と雰囲気が違うのは、女性の参加者が多い事。今回初めて半数を超えてきました。やっぱり武術と介護の響きの違いですかねぇ。それでも同じ『カラダ』を使う以上は別々のものとして捉えてしまうとなかなか難しいかもしれない。自分なりの『身体運用法』を作り上げれるかどうかだと思う。

特にうちの稽古はそうです。
決められたカリキュラムは無いし、基本的に何をしても自由。私にとっては回り道に見える稽古も当人にとっては何かに気づくための必要なものかもしれません。私がこの稽古で持っていってもらいたいものは、なにより自分のカラダ、ココロに対しての興味です。その興味を持ち帰ってもらって、自分の生活の中で試してもらえれば良いなぁと思っています。

さて稽古会ですが、実は色々驚きと発見があり非常に楽しかったです。今回も女性の看護士のグループの方が参加してくれましたし、介護の仕事をされている女性の方が久しぶりに参加してくれました。やはり本職でされている方からの質問は勉強になります。私自身は武術から入っていますから、どうしても細かいところまでは目がいかないですから。

初めての方もいましたから、一通りの技を体験してもらって、その感覚を知ってもらうところからはじめました。単なる身体操法としての『コツ』ではなく、自分の感覚を自覚した上でその感覚をいかに再現していくかがポイントです。ついつい普段の使い慣れた動き方に振り回されてしまいますが、その普通の動き方にどれだけ縛られているかを楽しみながら感じてもらいました。

今回女性の参加者が多かった事もあり、『ココロを動かして相手を崩す』という稽古を試してもらいました。この『ココロ』ですが、抵抗があれば『意識』でも『重心』とでも言い換えてもらえば結構です。女性は『ココロ』と言ってもスッと伝わるので、そうしました。

じゃあ『ココロ』って?
動こうとする時、まず気持ちが動いてきます。相手を上げよう、崩そうと『ココロ』が動き始めます。そして間を空けずにその気持ちに対して、カラダが『普通』の動きをはじめてしまうわけです。そうすれば自分が上げようと言う気持ちが動きを通して相手に伝わってしまうんですね。だからこそ上げようとした手を抑えられてしまったり、相手の重さに自分の腕が反応してしまうわけです。

この時カラダには少し休んでいてもらいます。身体操法なのに?と疑問をもちながらでもOKですよ。とにかくカラダはお休みです。ただお休みといってもどう休んでいれば分からないですから、これは腕が動かないように緊張させます。柾目返しで見てみると、相手の腕と自分の腕が一つのカベのようになります。

このカベを『ココロ』が通り抜けるように使っていきます。
まず最初は横から。例えば右手を左手でつかまれたとします。この手を動かさないように自分の『ココロ』(重心でもOKですから^^)を横にずらしていきます。壁に当たると、その『ココロ』の動きが止まってしまいますが、それはカラダの方が強すぎるんですね。力を抜いたりゴソゴソしたりして、何とかカベを通り抜ける感覚をつかんでください。

カベが通れないなら、まずは後ろから回り込んでも大丈夫です。どちらも壁となっている腕を動かさないのが大切です。それ以外ならいくら動かしても構いませんから。横方向から稽古するのは、単純に壁の厚さが薄いから。抜ける感覚が分かってくれば、カベを縦方向に抜ける事もできますし、カベを物理的に作らなくても気持ちの中で作る事もできます。

こうしてカラダではないところを動かす事ができるんだと言う感覚が育ってくればいろいろな事に試してみたくなるはずです。例えば抱き起こしの技に応用してみれば、肩にまわした腕がカベです。これをそのまま上げようとしてしまうと、腕を自分に引き寄せてしまいます。つまり自分(ココロですね)は、寝ている相手よりも前にいるわけですから引き上げてしまうわけです。

そこで腕のカベを意識して、相手の背中に自分が移動したように使うと、引き上げるのではなく、押し上げる感じになると思います。見た目同じようでも中身として、引くのか押すのかは大きな違いですから。言葉では難しいところも実際に体験された方には分かってもらえるかな。

今回の稽古、専門の方がいてくれたおかげで自分では想像もつかなかった動きが出てきました。なるほど~仕事していればこういう状況はあるかもしれない、当たり前ですが、頭の中だけで考えていてはダメなようです。思えば武術から稽古をはじめた時もそうでした。型をやればいいんだ、と思うよりも自分の中で出来ないことをしっかりと受け止めて、できない技を一つずつ潰していったわけです。結果として頭からではなく、身体から動くことを学んだみたいですね。

その新しい動きとは、ベッドから落ちてしまった人を一人で抱えて戻すというもの。
どうしたらいいですか?と聞かれて、どうしようかなぁと思いながら、身体をあわせてみました。まず最初に肩に手をそえて抱き起こします。次に膝を軽く曲げさせながら、相手の背中の後ろに自分の膝を入れていきます。

膝が入ったところで、後ろへ倒れるようにしながら相手の身体を膝の上に滑らせてきます。この時ゆらゆらと左右に振れながら行なうとやわらかく上げていけるようです。膝にのせた時にその体重の重さが気になりますが、これは乗っている脚だけ、支えている腕だけで感じるのではなく、カラダ全体で『着る』事ができれば大丈夫です。

そこから立ち上がるわけですが、普段柾目返しで稽古しているような前進の仕方、頭を押さえつけられても立ち上がれるような立ち方で練ってきた使い方が自然と出たのか、なにも意識せずに、人を抱えていてもそのまま立ち上がれました。その何気なさがよかったのか、その動きに対して驚きすぎっ!とも思えるような感想をたくさんもらって、勘違いしてしまいそうでした(笑)。

仕事という現場の中では直接使えるとは思いませんが、これが例えば自宅の中で起こった時に、重いから上げれない、と手を上げることは出来るはずがありません。その瞬間に自分が出来る最善の事をするはずですよね。その時よく動く身体があればいいじゃないですか。あとは現場に合せて、先輩が後輩に伝えていくようにする中で『技』としての完成度が上がっていくんだと思います。

よく稽古会では言っていますが、技ができるようになってきて術理が分かってくるとは、単純に力持ちになってしまうようなものなのです。今まで苦労していたことが少しでも楽に出来れば、やっぱり違いますよね。技だけをマスターしようと考えてしまうと、きれいな技、力強い技は出来てもなかなか日常生活には応用できませんから。

久しぶりに稽古にこられたTさん。私よりも全然小柄なのに添え立ち、浮き取りともに上げられてしまいました。何を教えたと言うわけではないので、ご自分でいろいろと工夫をされてきたのだと思いますが、驚きました。つくづく技を習うのが大切なのではなく、自分のカラダの強さを体感することが大事だと言うことを教えてくれました。

添え立ちに関していうと、稽古会の中で『できない・・・』という雰囲気がなくなってきたのも大きいのかもしれません。先生以外できないんだ、と思い込んでしまえば無意識にどうしても身体が動かなくなってしまいますし、自分が出来るという事を他の人が咎めるというちょっと嫌な雰囲気にもなりかねません。自由に気楽に稽古できる場を作っていければと思っています。

同時にいろいろな話を聞きました。どうしても古武術介護というと、『?』が付きまといます。なんだそれ、と。甲野先生がNHKにでられたり、岡田さんがそこからしっかりと活動されてきてだんだんとその実用性が理解されてきているとは思いますが、まだまだ話を聞くだけ、見るだけでは分かりづらいでしょうね。

同じ武道・武術というジャンルにいても『井桁?』でしたから^^。
新しいものを始めるのが大変なのはよく分かりますが、自分の中の問題が分かっていればそれを改善するための方法を模索することは絶対に必要です。そこにプライドやら肩書きで出会うことをやめるというのはもったいないですね。

今朝(7/9)新聞をみていたら、今日古武術介護があのテレビ朝日の『報道ステーション』で特集があるそうです。要チェックですね!先週(7/5)は『ナンだ!?』という番組で特集されたそうです。あいにく名古屋では放送ありませんでしたが・・・今週(7/12)も続けてあるそうなのでうらやましいです。

知名度が上がるということは、逆に言葉が一人歩きをしてしまうというデメリットも付きまといます。古武術介護で言えば、甲野先生が武術の動きを応用する中で、岡田さんという研究熱心なパートナーと出会われ育ててきたわけです。今後言葉だけが一人歩きすることなく、浸透していってほしいと思います。

感覚を味わうのが何よりの稽古です。

そして試して、やってみる。

落ちてしまった人を・・・

抱き起こして、この時左ひざを背中に入れていきます。

後ろへ倒れるように揺らしながら膝の上にのせます。

後は姿勢よく、カラダ全体で着るように立ち上がります。

膝まででいいので(高さが無いから)、難しくないみたいです。

力自慢の男の人には柾目返しで楽しんでもらいます。

曲がらない腕、指導中。

痛くなくても崩れていく、押されていないようで押されるような・・・

カラダが感覚を知る事で、きっと動きが変わりますから。

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高所平気症

少し前のニュースで高所平気症について出ていた。

僕も3人の子供の親なので、子供の動きに関しては驚かされる事があるけれど、さすがに目も眩むようなところでは、大丈夫だろう・・・と思い込んでいたが、そうではないらしい。

記事によれば、その高所で事故の多い年齢は2~3歳までの幼児と小学高学年~中学生までとの事。幼児は分かる・・・何といっても親の責任になってくるだろう。問題は高学年だ。

大人の感覚からすれば、危ない事ぐらいは分かるだろうと思っている。・・・でも違う。彼らは怖くないということだろう。

これを聞いて思い浮かぶのは、宮本武蔵の話と、肥田式強健術の話。

宮本武蔵は武道の極意はと聞かれ、このお城からあの山まで細い板をかけ、そこを平気で歩いていけるかどうか(原文不明^^。多分こんな話。)と答えたそうな。

肥田式強健術の肥田春充師は晩年、その鍛錬の結果、恐怖を感じる事ができなくなったという・・・(横隔膜が下に下がる事によって・・・との事)。

つまり自分を高めていく事によって、その恐怖を抑えていくのと、その恐怖をもともと感じないのとでは天と地との差があるということだ。

実は今この境が見えない人がいる事も事実。

何年か前に道場に通っていた高校生には技がかからなくてとても苦労したし、すごく勉強になった。というのも、彼には危険を感じるという感覚があまり無かったから。

例えば、技をかけるときに「ふっ」と相手に入り込む。敏感な人であれば、その瞬間に崩れていくし、そうでなくても、何かしらの反応があるものだ。それがない。目の前に拳を気配無く出したとしても一緒。瞳孔にもなにも変化が無いから、自分の技がまだまだ未熟なんだろうと最初は考えていた。

でもそれは違ったようで、彼はそれが「怖い」とカラダが反応しなかったんだと思う。だから実際に当てれば・・・当たる。拳ならまだ良いが、ナイフならどうしようもない。

聞いてはいないが、その感覚で高いところに行けば、落ちてしまうだろう。怖いということを意識しないあいだに。自動車がびゅんびゅん通っているところも危険を感じることなく動いてしまうかもしれない。

事故が無ければ、腹の据わった男だ・・・と言われるかもしれない。でも絶対に違うはず。

とにかく表面的には「安全」が確保されて、それが第一に考えられている世の中だから、自分のカラダからの信号に気が付かない子供たちが増えていってしまうのも分からないでもないが、それに対して、より「安全」を用意するのは問題の本質的解決を生まない。

この「怖さ」というカラダの感覚が、相手を思いやる「やさしさ」だったり、生きていく上での「倫理観」にも繋がってきていくと思うと、なんともいえない気持ちになってくる。やさしさでは死なないから問題には上がってこないし、ここに繋がりを持って取り組んでいる人も多くは無いだろう。

今、古武術、カラダ、感覚がひとつのブームになってきているのは人間の持っていた感覚という可能性に対して望みを持っている人が増えてきているということを信じたい。

お知らせ

7月8日は定期稽古を開催します。古武術的介護法を中心に稽古しましょうね。

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カラダは正直、でもそれがいい。

昨日は思いがけず、道場仲間のHさんに相撲部屋へとお誘いを受ける。

そう、ここ名古屋では大相撲名古屋場所へと盛り上がっているのだ。しかも私の住んでいる緑区は今年、3つの相撲部屋が開かれているのだ。

なんと誘われた相撲部屋は、宮城野部屋、そうあの横綱白鵬がいる部屋なのだ。じつは去年もここ緑区で部屋を開いた。その時から色々とお世話をしていたのがHさん。持ち前の面倒見のよさと付き合いやすさで横綱だけでなく、部屋の若い子達とも気軽に付き合っている。

ミーハー気分で出かけるのも申し訳ない気持ちが半分、それでも見てみたいと言う気持ちが半分。このチャンスを逃がしてしまうのはあまりにももったいない!

誘われたのは『地元の人にちゃんこを振舞う会』だから、と言われたものの、じつはちゃんこは食べれなかった・・・。とてもそんな雰囲気ではなかったからだ。社長、社長、と呼ばれる人が何人もいたりして^^

場違いである事を十分にカラダで感じさせてもらって、なんとか写真を一枚パチリと頂きました。

それにしても内輪の話をいろいろ聞けて興味深かった。去年はじめて宮城野部屋が緑区にきて、一致団結して盛り上げようとなったそうな、去年も横綱昇進がかかっている場所だっただけに盛り上がってはいたものの、終わってみれば全員一致団結!とまでは行かなかったようだ。

そして今年は横綱白鵬誕生で様子が一斉に変わったそうである。各人があれやこれやと集まってくるそうです。有名人が出ると仕方ない事なんだろう。

人が欲をかいている時ほど、その人の人間性が出ると言うのは本当で、外から見ていると良く分かる。明らかに『利用』しようとしているなとか、そうでなくても自分の身の安全を無意識に考えてしまって行動してしまっている。僕も含めて多分それが『普通』なんだろう。

けれども人を惹きつける人はちょっと違う。うわべだけを真似しようとしても、ああは行きません。だからこそ魅力が溢れんるんでしょうね。

横綱白鵬の貫禄が『横綱』という看板の影響なのか、彼自身の登りつめた事での自信なのかは分からないですが、隣に座っていて感じたのは、あぁ、まだまだこの人の隣に座れないな、自分の至らなさを痛感してきました。(しっかりカラダを意識して泳がされないようにしたものの、そのカラダを意識するのも大変でした。)

なかなかこういった気持ちにはなろうと思っても、つい自分に甘く考えてしまいますから、いい機会となりました。

それにしても相撲界と言うのは星の取り合いで、やっぱり上下の関係は非常に厳しそうです。番付が上がる事で、それまでの先輩後輩の枠を飛び越えて決まる世界ですから、感情的に考えると難しくなりますよね。それでもなお成り立っていけると言うのは、その世界に住む人たちがそれを受け入れているからで、どうして?と冷静にきいてもそこにカチッとした答えは無いでしょう。ただ皆が受け入れているという事実が大切なんですね。

ただ日本と言う社会は色々な意見が混ざり合う社会となりました。もちろんその中でお互い研鑚しあって成長できればいいはずなのに、理屈、理論が大手を振って歩いている感もあります。正論を言われているけど、なんだかムカムカするのはカラダからの信号なのかな?

選挙が近づいてきて人間の欲が渦巻いてくるこの時期、出来ない公約でも言わなくてはいけない人間を認めてあげる事が必要なのか。相変わらず甘い考えでいる自分に迷いつつ、ちゃんこの代わりに奢ってもらいながら食べた回らない寿司を食べながら考えました。

おいしいお寿司、ご馳走様でした。

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グチ

体調が悪い事もあり、世の中をついつい斜めに見てしまっているヤマグチです。こんな時間なのに眠れずに困っています。

相変わらず世の中は忙しい。先週年金年金と言っていたのが、今週はひき肉ひき肉。問題のミートホープ、なんて会社だ~と思いつつも、大きいところはみんなそうでないのかい?とついつい思ってしまうし・・・。

近づく選挙を見ても、なんだか皆自分の事ばっかりで、血眼になっているのがなんともいえない。何度みてもココロの底からお願いしているようには見えない。まぁ今テレビに出ている人たちは注目を浴びている人たちなので仕方ないとは思うけど。

細かいところではイチローと桑田が対戦した場面にチャチャを入れている某有名人になんだかなぁと思っている。

とにかく流れが止まる事は決してないし、ニュースを求めて日々たくさんの人が奔走しているわけだから、仕方が無い。でもやっぱり全部の問題を中途半端に流しっぱなしにするわけだからこれはちょっと危ないなぁ。

まぁ文句をどれだけいおうとも、僕が聞いている話は全部、テレビだったりネットだったり、自分の目で見たものは1つとしてないわけで、なんだかそんな雰囲気に流されているだけなのかもしれないし。ミートホープのあの人も、選挙に打って出るあの人も話してみると気が合うかもしれないし。

やっぱり今出来る事といえば自分に向き合う事ぐらい。自分の判断のもととなる自信をドコから持ってくるのか、日々たくさんの決断をしなくてはいけないのだけれど、自分が納得できるようなこたえを出していきたいものです。

自分という存在に迷ったときにカラダに戻れるというのはとっても楽なわけで、頭の中だけでグルグルとしか回れなくなったときに、実感をもって安心できるというのは、カラダならではだと思う。どんどんと情報が溜まって溢れていくんだから、自分をしっかりと持ちつづけなくてはどこかに行っちゃうなぁと・・・。行っちゃってもいいから、カラダは崩されないように整えておかないと^^

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月一稽古会・・・の前に。

日曜日は定例稽古会。ノリノリで皆を迎えようと思っていたのに、行きに寄ったお店で嫌な気分というか、どうしようもなくがっかりした。

丁度お昼時でお店は満員。定員も忙しそうに働いている。目の前にいるのは60を過ぎたおばさん。大型店という事もあり、システム化されているところと、なんだかよく分からない環境でがんばっている。大変ですね、がんばって・・・そんな気持ちでレジを待っているとあるお客が。

客 「お好み3つ!」

店員 「お待ちください」

・・・何分かかるか聞いている。

店員 「30分ほどかかりますが」

客 「何でそんなにかかるんだぁ!!!」

まぁお好み3つで30分というのもなんだけど、いきなり切れなくても。しかも子供連れで・・・。

この人にはこの人の人生があるとして、やはり可哀想なのはその大人をみて育たなくてはいけない子供たち。何を感じて育っていくのか、そしてまた大人になって親になって・・・。

自分を思い返してみても決して誉められるような生き方はしていないけれど、いつまでも成長しつづけていようという思いだけはあります。

自分自身がまず楽しんで生きる事を見せれなくて、指導なんかできるわけが無いから。

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誕生日なのに・・・

昨日は娘の誕生日。運良く土曜日と重なり、どこかへ遊びに行こうかと計画を立てる。

しかし・・・

金曜日の夜、深夜稽古の途中から体調が急激に下降していく。カラダが重い重いと楽しむ余裕も無くなって、ふらふらしながら帰宅しました。

というわけで、結局土曜日は寝てすごす事に。役立たずな父親ですね~。

何とか夜には回復してきて、ジジババ、オオババをつれて回転すしへ。

面白い、普段食べないものが食べたくなるとは!

何とか回復しましたので、今日の定期稽古はばっちりです♪

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大学へ・・・

今日は大学へちょっと指導へ出かけるつもり。元気がいいのに囲まれると、だんだんとこちらの気分も盛り上がってくる。そこでの指導で気づいた事もたくさんあるので、指導に行っているのか、自分の研究に行っているのかは、微妙である^^

みんな素直で礼儀正しいし、彼ら、彼女たちをみているととても気持ちが良い。一つ一つの経験を自分のものにして、自分が「これだ」と決めた事に突き進める強さを持ってくれたらなぁと思います。

私自身はカラダを見つめる事でその事をしりましたので、それでしか伝えれませんが、感じる事の楽しさを伝えていければと思います。

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濃いなぁ、濃い・・・

実は昨日甲野先生とご一緒でした。

その間、久しぶりにたっぷりと濃い稽古をしました。

(アクシデントのようなものがきっかけで・・・)

いやぁ~堪能しました。

ごめん、だけど術理は聞いてません。先生と稽古の時って、前で真剣に話をしてくれても、こっちは内側を見るんで精一杯ですから・・・。カラダでお答えします。

そして、今日。香川の世話人をいしている呉服屋さんから作務衣と足袋、そして手裏剣入れ(ウソ・・・でもホント)が到着。ニコニコしながら早速着ています。

多分足袋はうちの稽古にきている人も欲しがるかもしれないなぁ、甲野先生がつかってるのと同じだよといったら^^

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自分と向き合う良い機会に

昨日の甲野先生の講座に続き、今日は指導している少林寺拳法の愛知県大会。

これまで一生懸命に稽古してきた子供たちがどんな事を学んでくれるのか、指導者としては自分が出場する以上に気になります。

結果は結果として受け入れるべきものですが、それ以上にこれまで、そしてこれからどう稽古していくか、自分と向き合っていくべきかを感じて欲しいと思いました。

それにしても大きなイベントが終わると決まって、カラダの具合が悪くなる。何かの信号なのか!

多分気負いすぎなんだろうけど・・・。

息子に言われました、去年の大会の後も頭痛いって言ってたよね・・・、よく覚えているなそんな事!!

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甲野先生の名古屋講座

さて待ちに待った甲野先生の講座である。

参加者の人数も30人ほどなので濃い稽古ができればいいなぁ、と思っています。

前回の稽古会でもそうですが、女性の参加者の方が目立ちます。そして積極的。男性陣も見習って、負けないように良い稽古をしましょうね。

これまで名古屋の講座では質問コーナーを取っていなかったのだが、四国の稽古会ではその質問コーナーが充実だった様子。全時間質問OKなのだから、いらないかな?と思っていたのは考えてみれば不親切。

やっぱり聞けない事も多いですよね!すいませんでした。

今回は作るつもりです、質問タイム。

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走り方を研究してみる

この3日ほど家の横にある大きな公園内を走っている。

もともと走るのはすごく苦手、小学生、中学生のクラブ活動では泣きながら走らされた記憶がある。多分その頃から、「俺は走れない」との思いがココロの中にできちゃったんだと思う。やらされる稽古で能力が伸びるのは、言ってみれば才能だ。私には無理だった。どうすれば上手になるか、がむしゃらに練習するしかないんだろうなぁ・・・と思っていたから。

久しぶりに走ってみて、相変わらず走るのは「ツライ」な、と思ったけど、それはカラダが悲鳴をあげているから。たった数百メートルだけで足は痛くなるし、息が上がってくる。ナンバを意識してもせいぜい100mぐらいが精一杯。

う~ん、甘くない。それが初日の感想。

別に記録を求めて走りたいわけではない、ただカラダに楽なように走ったり、歩きたいだけなので、まずは歩くところからいこうと考えた。なぜつらくなってくるのか、走り出すと足がドンドン勝手に動いているような気がする。今まで脚よりもよっぽど手のほうが滑らかに動くと信じていた、でも大きな勘違いでした。

すりこまれた「走るフォーム」はほとんど脚のみが回る走り方。もちろん手も振るんだけど、それはカラダの揺れでただ動いている感じなのだ。ダメダメだな、そう思いながら工夫をつづける。いつも研究は正反対からはじめる。脚で動くのではなく、手で歩いてみよう。

つまりこうだ。

手を上に大きく振り上げて、その勢いを借りて上半身を持っていってもらうようにする。われながら滑稽、奇妙に写るに違いない。幸い時間帯のせいか、人影もまばらだったし。こんなへんな稽古をしている自分にニヤリとしてみたりもする。普段の頭というのはなかなか常識の範囲からでていけない。その結果はやっぱり想像通の結果しか持ってこないから注意が必要だ。

大きく振り上げてみて分かってきた事がある。体幹部の動きは連続では動かしにくいという事。多分これは普段の練習の形が、一つの型に集中する事で、一発勝負になってしまう事が多いからだろう。型稽古の場合、いったん相手が崩れるとその後の動きはたいした事が無くても形ができてしまうからね。

継続して走りつづける場合はなにより動きを止めてはいけない。動いていない体幹部を中心に上体と下半身の動きをつなげてみる工夫を続ける。少しずつ動きがあってきたのか、脚を踏み出す気持ちがなくても前に進むような感覚がでてくる。

当初の大きく腕を振り上げる動きを胸を働かせるようにして小さく改良したりして、だんだんと楽に動けるようになってきた。小さな充実感を抱いてウチに帰って驚いた事が一つ。膝を開かない膝行がやりやすい!
思わぬ大発見だった。8ヶ月の子ども相手にその動きを見せて笑いを取っていると、後ろから嫁さんの冷ややかな視線が・・・

どうやらニヤニヤしながら動いているのが気になったらしい。

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技がきかない、あいつ

実は技のかけにくい人がすごく近くにいます。

普段「あれ」の練習をしているわけではないので、こちらの動きになれてきているわけでもありません。

新しい動きが出てくると試してみたくなります。

でもやっぱり「ずれる」感じが、まだまだ俺も未熟だな・・・と思わせてくれます。

体重が100kg超の相撲取りとやっても、ウエイトバリバリの総合格闘家とやっても、苦しくは無いけど、彼の反応にはどうしてもずれてしまうんですね。

彼とは・・・小学5年生、しかも小太り、そして不器用なのに・・・。ライバルは小学生なのだ。

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甲野善紀身体操作術

昨日名古屋シネマテークに「甲野善紀身体操作術」を見にいってきた。

平日の朝という事だけに貸しきり状態でもいいな、と思いながら出かけると、もうそこには20人ほどのお客さんが・・・。映画館自体も50席ぐらいの場所なので、驚きました。

さて映画です。じつはもう既にDVDで見てしまった後でした。しかも車の中でヘビーループ状態。それでもこの映画の面白いところは、何度見てもいろいろと考えさせられる、というところでしょうか。

最近はドキュメンタリーでもたどり着くテーマが一つだけ、というのが少なくないですよね。甲野先生の講座に出て、術理をまなび、稽古すればするほど、あの映画から受け取るもの、引き出されるものは多いのではないでしょうか。

とりあえず、映画の中で気に入った部分を上げてみると、

足立さんが言われていた「枠を・・・」という部分。稽古でもついつい教えすぎてしまう自分にとっては反省させられてしまいます。同じように名越さんも「教えるのは邪悪・・・」と言われているだけに、苦笑しました。

名越さんといえば、「こんな成人(甲野先生のこと)がいるんだ・・・」との言葉は僕が感じた先生の印象と同じ!と思いました。僕の場合は理想を現実に生きるのはむつかしいな・・・と感じていたときに出会ったのが先生でしたから、そこですごく勇気というか、理想を生きる事は可能なのだと感じさせてくれました。

そして息子さんとの個人稽古。最近は講座でよくしゃべられる先生しか見てないので、「あの空気の重さの稽古」はうらやましいです。昔松聲館でつけてもらった稽古を思い出しました!

ぐぅ~っと引き込まれていってしまいそうな雰囲気は、今の時代ではなかなか感じる事が出来ません。どちらかの緊張がくずれてしまいますから。カラダラボでも真剣さをぶつけ合う事が出来る仲間作りをしたいと思いました。(そういえば、これは教える、教えられるではないですね!まさに感じる。最初で上げた事はこれで解決できるような気が^^)

子どもたちにこの人お父さんの先生なんだよ~なんていって見せてます。

「ふ~ん。」って答えてますから。それよりも、これ映画なんだよ、って教えたら、

「えっ!・・・変な映画」といっていたのが印象的です。

・・・まぁポケモン映画とドラエモン映画しか知らないからなぁ。しょうがないか(笑)

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0歳と4歳どっちを抱く?

ウチには7歳を筆頭に4歳、0歳と3人の子どもがいる。

さすがに7歳はだっこしてくれ~とは来ないが、4歳の娘は隙を見つけては突進してくる。どこかに遊びに行って疲れてきたときもそう。

先日この大きな4歳児を抱いていて思った事がひとつ。

0歳の子を抱くより楽なのだ。体重は2倍も違うのに。

なるほど、4歳の子はしがみついてくれるし、こちらの動きに合わせて勝手にごそごそしてくれてるせいか・・・。

体重は軽いとはいえ、全てをこちらが引き受けないといけないので、すぐ疲れてしまう。手首を返したり、工夫をしてみてもなかなかうまくいかない。

まだまだ母親の域には近づけないらしい。

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異空間?マンガ喫茶。

先日待ち合わせの時間まで一時間ほどあったので、気になっていたマンガ喫茶に入ってみた。

もともとマンガが好きで、15年程前大学生だった頃はマンガ喫茶に入りびたりでした。

特に名古屋はそのマンガ喫茶が発祥の地との噂が。まぁいろいろなところにありました。

ここ最近はマンガ喫茶が全国に広がり、その中身も変わってきたとニュースで見たし、そこで暮らす若者がいると信じられないニュースが。

と言うわけでそのマンガ喫茶に潜入。

フリードリンク、時間性、そのあたりはあまり変わりない。(昔は1時間半が基本で、フリードリンクも無かったが・・・)

驚いたのは全室個室。そしてホントにシャワーもついていたし、暮らそうと思えば暮らせそうな感じだ。

とりわけ気になったのは、人と人とのコミュニケーションの無さ。それは客同士だけでなく、定員との間でもそう。努めてそうしているのでもなさそうなので、特に気になる。

カラダから得る情報はとてつもなく大きい。だからこそ、不快にもなるし、心地よくもなる。どうやらその不快から逃げる方法に情報を全部遮断するという選択をしたのがこの空間らしい。

入り浸ってしまえば自分の中だけで全部完結するので、カラダの楽しさに出会う前の自分ならはまってしまっていたかもしれない・・・。

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なんだかんだいっても元気が大事らしい

普段夜は少林寺拳法の指導をしている。

そこでの子供達への指導ではいろいろな事に気づかされるのだ!

少林寺拳法には「演武」と言って、二人組で決められた技を行い、それを何度も練習して発表するという表現方法がある。

その中でも色々と僕なりの指導をしてきた。それは丹田だったり、正中線だったり、中身を出せだの、手にひかれるようにとか・・・、それはもう色々と。

でも何か物足らない、ずっと思っていた。動きは滑らかになったり、力強くなったりしても物足らない。だからこそ次から次へと目線を変えながら練習させてきたのだ。

今日それの意味がわかった。エネルギーが足らないのだ!元気といってもいい。

結局演武が終わっても全然子供たちは疲れていないし、エネルギーを使い切っていない。それでは元気は出ないだろう、やっぱり。彼らも自分のエネルギーの出し方を知らないし。

そこで短距離走とマラソンの例をだしながら、短い時間に全エネルギーを出せ~!と言ってみた。終わったときに立ってられないぐらいにね、と。

やらせてみると、これがいい!今までの指導がなんだかなぁ~と思えるほど、元気なのだ。エネルギーで考えると、分かりやすいらしい、子供たちにも。

表演としての演武だからやっぱり迫力は欲しいんです。ちょっと楽しい夜でした。

宮崎駿さんに甲野先生の動きはアニメには手抜きにみえますね、と言われた話を思い出しました^^;

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オモシロサイト

またまた面白いものを教えてもらいました。

見ているとどんどん不思議な気分になってきます。

頭がすぅ~っと軽くなるもの

普段の稽古で座禅もしますが、あぁ抜けてるなぁってこんな感じだったっけ?

座禅は座禅として、あの気分の良さが立会いの中でも出てくればとココロの底から思います・・・。

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道場破りだ!

日曜日の月一稽古会。汗ばむ陽気の中、20人ほどで楽しく稽古。

・・・そんな楽しい雰囲気の中に、なんと道場破りが!

ドンドンドン、ドンドンドン!と強くドアをたたく音。

何事かと思って出てみると、なんか雰囲気からして違和感のある人が。

「自分は○○の■■支部の支部長で、××大会で準優勝した△△と言うものですか・・・」

なんだ、その自己紹介は^^

とにかく見学をさせてくれて言う。

来るものは拒まずなので、まぁいいかと、道場に上がってもらったが。なんといってもこの稽古。体感してもらわなければわからんだろう・・・と、声をかけても、見るだけでいいって言われるし。

なんだかなぁと思っていたら、自分とは離れたところで勝手に指導始めるし^^;

誉めて誉めて、いい気分にさせて出て行っていただきました。

ほんとに○○の■■支部の支部長で、××大会で準優勝したんだろうか・・・

看板が可哀想と思いつつ、ああいう風にはなるまいと心に誓いました。

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カラダラボ ←月一稽古会の様子をアップしました

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黄砂、黄砂、黄砂

昨日一日中、涙は出るし、喉は痛いし、くしゃみは止まらないし・・・

こんな時期に花粉症は無かったのになぁと思っていたら、黄砂の影響らしい。

なるほど、そうか!と納得したもののカラダの異変は止まらない。ぜんぜん眠れないし、参りました。

そういえば、いまでも現役バリバリで林業をこなしているうちの義母は花粉には全く反応しないが、黄砂にはやはりやられてしまうと言う。

恐るべし中国!!

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風で動く巨大生命体

風で動く巨大生命体。友人に教えてもらった、俄かには信じられないものだった。

某CMで使われていた事もあり、見たことはあったが、CGだと思っていたから。

まぁなんと言ってよいやら・・・でもこんなものを見ても体の動きに利用できないだろうかと考えている自分がいた(笑)

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アクテノン日記

アクテノンの稽古には、介護犬のトレーナーをされている若い女性が参加されました。

仕事柄やはり興味があるのは「介護」の技術。そこをどう理解してもらおうかと考えたけど、やっぱり感じてもらうのがなんと言っても一番だろう。

このアクテノンの稽古はまだ参加者が少ない事もあり、ほぼマンツーマン^^

通り一遍の指導ではなく、何を感じているのか、なにを考えているのか、こちらも感じながら行いました。形の無いもの、感覚をとおして自分のカラダの中にある可能性を感じてもらいたいだけに、安易に技のコツだけを指導してもなんとなく逆効果だと思うから。

甲野先生の書籍はすでに読まれたそうで、基本的なイメージはもっていたのが良かったのか、飲み込みはすごく良くて驚かされました。まぁその出来ている自分をなかなか認めれないのは、しかたなく、しきりに遠慮していましたが。

誰かと勝負をして、競ってしまえばできている部分も否定されてしまいます。だからこそ感じあう、思考する稽古が必要になってくるわけです。彼女の場合も力が全身に流れた場合とそうでない場合、持った感じが全然違う。崩される感覚はやわらかくていい感じになります。

今ある自分にぺたぺたと付け加えるのではなく、自分の中にあるものに気づいていく稽古をしたいですね~。今日は思いがけず「犬」の扱い方にまで考えを広げてとても楽しかったです。こうして幅広い人との出会いが稽古するもうひとつの楽しみです。

さらに今日はいつもの音大の子が、定期演奏会にいけない私を気遣ってくれてミニコンサートを開いてくれました^^。なんだか得した気分です。

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宇宙船地球号

ときおり甲野先生が言われるバックミンスター・フラー博士。なんとなくでしかイメージがありませんでしたが、彼を特集したテレビを発見。

分かりやすくて参考になります。

未来を先取りしたデザイン・サイエンス R.バックミンスター・フラー

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名古屋にもやってきた!映画甲野善紀!

さっきメールが届いた。名古屋シネマテークさんから。

ぎょっ!あの映画だ!

名古屋でもやるの!びっくりしました。昨日アップリンクからDVDの配送予定をもらったからなぁ・・・DVDでみるか、映画で見るか。我慢できるかなぁ~。

でも甲野先生のサイトにも告知がないし、時間をみると11:00からだけだし。

人入るのかしら^^ 微力ながら応援します。

映画&稽古会とかしたいけど、土日は予定が一杯。

後は水曜日かぁ・・・予定合う人なんかいないよなぁ。予定だけは立てておこうかな・・・

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日曜は月一。資料作成中~

Masamenagare

日曜日の稽古会に使うための資料を作成中。

勝手に稽古していくと、どんどんとマニアックになってしまって、最初の取っ掛かりが分かりにくくなってきてしまう。

私がはじめたとき、京都の甲野先生の奈良の稽古会で、

「右肩だけを引いて、それから手を上げればいいよ」

と教えてくれた人がいる。その人のおかげで、はじめての「できる」という驚きを感じたものです。

なかなか万人受けする教材は作れませんが、少しでも役に立てれれば・・・。

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イベント告知♪

イベント告知です。

まず甲野善紀先生の講座きまりました。来月6月16日(土)です。

詳しくはカラダラボのページで。

多分夏の間はありません。なぜなら暑すぎるから^^汗で刀もすっぽ抜けそうなほどの環境なのです。

もうひとつ。今度の日曜日は月一稽古会。

まだ受け付けていますの、これもカラダラボのサイトで詳細をみてください。

今回のテーマは「アレとコレ」にしようかと思っています。

以前紹介した「ピアノが歌う」。自分と他人。アレとコレ。

意識の持ち方一つでこれほど動きが変わるとは。自分の動きを見つめて動きを変えていく、その動き出したカラダを意識せずに使うためにジブンが上手に動くのではなく、相手が動いていると考えてみる。・・・これが気持ち良いのです。意識が抜けるような感じ?

とにかく自由な稽古ですから、疑問があればなんでも聞いてください。

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「入~れ~て~♪」

子供たちが遊びの輪に入るときに使う魔法の言葉だ。

あの一言でどんな輪にも入れるのだからすごい。

でも中学生ぐらいになると恥ずかしくなるようで・・・

大人になるとコミュニケーション自体が苦手という場合も・・・

今の大人にこそこういう「型」が必要なのかもしれないね。

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歌うピアノ♪

金曜日のアクテノン。音大にかようEちゃんが朝の忙しい時間を割いてきてくれる。

彼女はとても聞き上手で、こちらが話す事全部丸ごと受け入れてくれる。最近彼女もカラダを意識してピアノに向かう事ができるようになったというし、今までよりも多くの感情を表現できるようになってきたような気が・・・ということ。

運動とピアノ、畑違いなように見えても、彼女の変化は納得できる。だってカラダが分かってくるとは自分がわかってくるのとおんなじことだから。もっともっとまだ自分の中に隠れている知らない自分に驚いてください。

そういえば彼女のピアノの先生がこういっていたそうな。

「あなたが弾くんじゃなくて、ピアノが歌うように・・・」

と。素敵な言葉です。さすがピアノの世界、長い年月多くの人たちが研究・研鑚を重ねてきただけあります。それはすごく大切な事でしょう。

似たような事は昔から色々と考えてきました。例えば目の前にある「コップ」。これを持ち上げたときに、自分が上げるのか、コップが持ち上がる動きに自分が引かれていくのか。

もちろんコップは勝手には動きません。だからこれはおバカな話だ!・・・と一蹴しないでください。自分の中の気持ち、意識は少しずつかえる事ができるんです。

また、それを認めることができたとしても、実行に移して確信をもつのは難しいかもしれません。なかなか「できる自分」は認めたくないからね。

最近セノウエ君がいい言葉をいっていた。僕の近頃のお気に入りだ。

「できるにレベルがあるとは知らなかった。」

最初彼が入会したとき柾目返ができればやめてもいいと思ったそうだ。この時の彼の頭の中は「できるかできないか」「○か×」なわけです。実際稽古してみると柾目返しを「あぁこれかぁ」とできるようになるのはそれほど難しくない。

だからやぁめた、となるかといえばそうじゃない。今できた事に飽きてくるのだ、自分が。もっともっと奥の世界が知りたくなる。結果としてどんどんと動きが変わってくる。決して○×ではないのだ。もちろんはるかにできる人がいれば、今私たちの稽古していることなど、「×」といいたくなるだろう。でも大事なのは自分で掘り下げる事だからどんどんと稽古していこう、自分に正直に。

コップの話に戻ればコップが上がっていく感覚にもレベルがあるのだ。そんなわけが無いと一蹴する前にその動きのレベル1を考えてみようよ。「何かをする」「しようとする」動きの中に意識があるんです。

ついつい稽古していると自分の動き方に集中してしまうけれど、自分の気持ちをもっと自由にする必要もありますね。

何気ない彼女の一言だったけど、思いのほか大きなヒントになりました。

そういえばアクテノンの世話人をしてくれているイトウ君。彼も自分の気持ちを自由に使う名人。得意なのは「絵」なのだが、そのアイデアを出すためにいろいろな事を工夫している。昨日も見せてもらったが、なんだか魔法、まじないのよう。でもそれはれっきとした技術だそうで、NHKで見た、と言っていた(笑)。

つまり彼もまた自分ができない、そんな事あるわけない、と思わずに自分で試してみたのだろう。そして気づいた、なにかあると。教えてもらうよりも刺激的だと思う、気づくのは。

この話を深夜稽古の時に話すと「筆道法」やら「おふでがき」やらと話がすすむ。さすが・・・。

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伝える事のむつかしさ

この1ヶ月、とにかくどう表現すれば、どんな言葉をつかえば「カラダの感覚」が伝わるのか、という事を考えてきました。

未だにぴったりとくるフレーズは見つからないし、これまで作ってきたホームページや講座の案内も見直してみると、「ガクッ」ときます^^;

そんなときに頼りになるのが、これまで自分が経験してきたカラダを通しての学びそのものです。

自分に足らないところに居着いてしまって不安な気持ちになるというのは、動きで言えばできない自分を認めてしまうことになるのと同じなんですね。

できたときには「結果として」。その「できた」というのは必然性が感じられるわけです。そんな経験を何度もしていくと、今はできない技でも何とかなるに違いない!という強い自信が生まれてきます。

自分にとって苦手な分野であっても、ココロとカラダは同じ自分です。不安な気持ちが取れないなら、カラダを使ってとってやる!そんな気持ちです。

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気にしない、気にしない♪

某有名マンガで小坊主さんがいってました。

とはいえそれを実際に行動に起こす事は難しい。人間は感情の動物と言われるほどに思考よりも先に感情がゆれる。

もちろんそれはいい面もあるけれど、多くは不安や恐れなど自分のこれからに対してのマイナスな気持ちだろう。

こういったことを気にするなといえるのは、当事者ではやはり難しい。ただ難しいといってしまってほったらかしにするのも気に入らないな。

というわけでカラダの稽古をつかってそれを克服すべく練習なのだ。

昨日道場でふと杖が目に付いた。杖といえばこれを腹に押し付けてなんともないぞ~♪とは時々見るデモンストレーション。

なんとなくそれができそうだと思って高校生にお手伝いをしてもらいながら早速実験開始。

やはり怖い。とくに先端の腹に食い込んでくる感触はそれほど痛さは無くても想像してしまう。意識が痛みにとらわれないように、カラダを整えながら相手に向かって歩いていきます。

やはり今日は調子よかったのでしょう。今までに無い強さがカラダに感じられてきました。やり終えてみると、こんなもんだったか、という感じです。

まぁ雑技団では槍でやってるからなぁ、刃のついた。できないほうがおかしいか^^

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一所懸命の質

昨日は母校の部活動の稽古に顔を出す。

大会が近いという事でみんな一生懸命だった。そこで感じたのは一生懸命が形として出てくる人と出てこない人がいるという事。

真面目にこつこつ稽古するということは、一歩間違えるといわれた事を疑問なくどんどんと稽古することになってします。

これは指導する側の責任が大きいのだが、今の自分にある世界を押し付けてしまう事にもつながってしまうのだ。その世界を越えるためには稽古する側の才能に頼るしかない。

だからこそ伝えるべきは今の自分を否定する考え方。これは自虐的なマイナスイメージではなく、常に新しい自分に出会えることができるという事を伝えて欲しい。

自分自身が新しい自分にわくわくできればいろんな変化をどんどんと楽しめていけるし、コミュニケーションの中ででてくるトラブルも感情だけで左右されず冷静に見ることができる。

カラダ、カラダ、というと技術的なイメージが強いが、カラダを通してココロを感じて自分を信頼できるようになるとすごく楽しいのです。

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自分の中にあるカベ

土曜日は名古屋稽古会での初めての「介護」をテーマにした稽古会を行いました。

参加してくれたのは、これまでの常連さんがほとんどだったのでいつもの稽古のようになるのかなぁと思っていましたが、いざ始まってみれば、介護の稽古は予想以上に楽しく、「テーマ」があることでこれだけ練習がしやすくなるのかと感じました。

カラダという未開拓な分野での稽古だけに、稽古の目的も迷いがちですが、しっかりとした目的を掲げて稽古してみるのもいい感じでした。

その中で初めて参加してくれたSさん(女性ですよ)。わざわざ岐阜から来ていただきました。最初は介護の仕事をされているのかなぁと思っていましたが、話を聞くとそうでもなく、甲野先生をご存知かな?と思ったら、あまり知らないみたいです。今まではほとんどの方が甲野先生やナンバに興味をもたれた方ばかりでしたから、ちょっと雰囲気が違ってきたかなとうれしく思いました。

このSさん。線も細くて、力自体も女性ですからありません。どこから感じてもらおうかと試行錯誤で感覚を伝えました。まずはカラダに体感覚というべき「感覚」があるという事から。

手を握られて、力が詰まって、それが流れるように全身に行き渡らせる事ができるんですよ、と。そして丹田というところに力が行き渡ると手だけで力を出すよりもはるかに楽ですよ、というところを実感してもらいます。

最初、初めて聞く言葉や感覚に戸惑い気味なのがひしひしと伝わってきます。その雰囲気にこちらもちょっとぎこちなく^^

それでも対面での稽古ですから、一つ一つの言葉と感覚を相手のリズムにあわせながら伝えることを考えて指導しました。

女性の方はもともとの力がありませんから、流れを意識してもらうと動きががらっと変わります。腕の力に頼るという執着が無いのでしょうね。私はずいぶんとそれに悩みましたからうらやましいです。

Sさんも戸惑いぎみながら、流れをつくり丹田へと意識しながら動いてみると徐々に動きが「サマ」になってきました。その様子にこちらもうれしくなり、いろいろな技を試してもらいます。伝えたいのはそれぞれの技の「コツ」ではなく、全てに共通する体の感覚です。

遊びのような技を一通りこなして、介護の技に入ったときです。私がSさんに対して添え立ちを体験してもらったときです、彼女の驚いた表情が印象的でした。多分それまでの遊びのような技の中では感じれなかったほど、ナンバの動きに可能性を感じたのでしょう。人それぞれスイッチがあるんですね、感性の。

介護の技を試していくと、これがなかなかいいんです。添え立ちや抱き起こしも「形」にとらわれないように、自分の体に無理が無いように意識してもらったのがよかったのか、どんどんと「らしく」なってきました。

驚いたのが浮きとりです。あぁ、難しい・・・と言いつつしっかりと浮き上がってましたから。あれだけできればあとは、自分が初心者なのだという自覚がなくなればすぐにでも自分のものになるはずです。

改めて自分の気持ちで止めてしまっている部分が大切なのだと実感しました。どうしても謙虚というか、自分にはできないといってしまいがちです。そうすると気持ちが楽ですからね、できなくても。

いってみれば自分の弱さから出てきている謙虚さなわけです。自分自身の動きに真正面から立ち向かい、見てみればきっといろいろな事が分かるはずです。そんなことをSさんから学びました。

稽古後彼女から、

「初めての世界で、とても楽しく勉強させていただきました。これからの生活に活かしていけそうな気がします。」
との感想を頂きましたから、こちらとしては伝わった事もあったんだとほっとしました。

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アクテノン2

アクテノンでイトウ君との稽古

まだまだ伊藤君との個人稽古が続くが、今日はホワイトボードを使って頭を整理しながらの稽古。

カラダとココロの関係。ナンバの稽古をとおしてドコまでいけるか。感覚を言葉・文字で伝えるには。集中力と居着くココロ。社会全体として希薄になっているコミュニケーションの力。

幅広く語り合う事ができた事で、改めて今後の方向性を確認できた気がする。

とにかくまっすぐ生きる事は難しい。それは自分がまっすぐだと思っていても、実は外から見ると曲がっていたりして。

それを指摘されるとココロがゆれる。難しいです。そんななかしっかりと話を受け止めて、新たなきっかけをくれる人が近くにいる事のありがたさを知りました。

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おじさんに学ぶ

道場に通う40代、50代のおじさんたち。

いつもいつも11時過ぎまで居残りの自主稽古ご苦労様です。人間にとって「目標」があることの大切さを感じます。

私が指導する際に気をつけているのは、今のレベルよりも少し先を見せてあげるようにする事。

義務感ではなく自主性を感じながら稽古してもらいたいなぁと思っています。それは子供でも大人でもおんなじ。

・・・いや子供のほうがはっきりわかるかな、注意がこっちにきてるか、あっちにいってるかというのはすぐ分かりますから。

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ピアノと武術

うちの道場に稽古に来ている女の子がいる。

音大の4年生でピアノを専攻している。最近ナンバの動きが少し分かってきたらしい。それまで出せなかった強い音や自分の心のゆれを感じたりして、ピアノが変わってきたそうだ。

これこそまさにナンバ生活で、べつに両手両足をそろえて歩く事が大事なのではないのである。

ちなみに彼女はサイトで技の解説のお手伝いもしてもらってます。

ランキング、気が付けば少し上がってました。

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抱く

うちには今3人の子供がいる。上から7歳、3歳、0歳だ。

さすがに7歳は重くなってきて、抱き上げるにはちょっと厳しくなってきた。

ちょうどいいのが3歳。(の割にはでかいらしいが。)

何も考えずに抱き上げる場合と、自分の体を締めてから上げる場合。明らかに感触が違う。抱き上げられているほうもそれはわかるらしい。

想像力をたくましく使うと、自分の内側を意識する事で、抱かれている側の内側に影響を与える事ができるのでは・・・

とはいえ、使い道は子供の笑顔を見るぐらいしかないのだけれど。

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稽古できない疲れ

GWも終わりましたが、どうすごしましたか?

私の場合、久しぶりに稽古の無い日々を過ごしました。

家族で嫁さんの実家に3泊4日。技を稽古する時間はもちろん無いものの、親戚の子供たちを交えてカラダをはって遊んできました。

なかなか暴れまわるようには遊べないので、ここぞとばかりに暴れてきました。3人を相手に交わしまわったり、放り投げたり、抱きしめたり。とうとう最後にはこっちが参ってしまいました。

まぁ子供たちの元気は引き出してやればやるほど出てくるようです。

めんどくさがっているんだな、結局大人が。ダメだダメだと感じました。

そういえば茶摘はできませんでしたが、まき割を少々やってきました。これまもた難しさを実感です。

ランキングです。

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茶摘

明日からゴールデンウィークを嫁さんの実家で過ごすことになりました。

嫁さんの実家は最近浜松市になった水窪というところ。

静岡らしく、やはり名産はお茶。気候次第だそうだけど、茶摘ができるといいなぁ。

ずいぶん前その水窪で餅つきをした。そのときにナンバを意識してみても次の日にはすっかり筋肉痛になったという苦い思い出がある。次はいいとこ見せてやる・・・かな。

カラダラボ

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映画

ガイアシンフォニーという映画のお誘いを受けて見に行ってきた。こんな形の映画があることすら知らなかったので新しい世界を見れた感じで面白かった。

映画の中身ですが、今回は『音』。それを『人』をとおして伝えている。日々稽古の中で『からだ』の不思議を体験させてもらっていると数字だけで知識だけで計れないものがあるという事をだれでも気づくようになる。というか気づいた瞬間にそれに向かい合えるかだと思う。

やっぱり自分が見た事のない世界に出会ったときに、見なかった事にして『蓋』だけはしたくない。

いろいろなものにアンテナを張っていく事って大切ですね。

セノウエ君いつもありがとう、面白いものを紹介してくれて!

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実践♪ナンバ生活

昨日の稽古会の影響か、久しぶりに身体が痛い。ただこの痛さも腰のあたりに来ているので、最近気づいた腰の横流れによるものだと思う。

身体の稽古は基本的にはからだを酷使する事はないのだけど、今まで気が付かなかった場所が動き出すと、それまで癒着していただけに「動く」事になれていない。

『全身が筋肉痛になりました』

とはよくいただく感想だけど、その筋肉痛をとおして自分の身体を知るというのもいいもんだと思う。

さて今日は家にあるちっちゃな畑を耕した。普段から『ナンバ』を口にしている以上半端な事はできません(・・・と心に思いながら実践)。

結果、くたくたです。やはり技と術はそれぞれやらねば^^

ちょっと前祖父と祖母と農業の仕事をしていた事があった。その頃祖母は一日中同じペースでずぅーと働きつづけていたのだ。社会の中で作られた『身体』とはすごいなと感じけど、あれから6年、まだまだ追いつけません!

でもこの先世の中がどんどんと身体を意識しないようになるとどうなるのだろう・・・ちょっと怖い。怖くないですか?

ちなみに鍬を使う事で、やはり気づく事は沢山ありました。

どうしても身体が折れてしまう事、肘の使い方。体幹部からの落ちなど・・・、日常生活で身体を意識すると楽しいなぁと改めて感じました。

あとこのブログのタイトルのアイデアが湧いたので今日から変更です。

ランキングです、よろしくお願いします。

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月一稽古

4月の月一稽古終わりました。

身体の稽古は激しい運動は全然しないものの、自分の内側に集中するので、「頭」をすごく使います。じっとしていても汗が・・・・。

今回は接骨院の先生仲間をKさんが大勢連れてきていただきました。身体を専門に見られている方々に説明するのは思い切りがいりますが、それなりに驚いていただいてうれしく思います。

そういえば今度岐阜で稽古会を開くT君も接骨院系ですね。彼も沢山の人を紹介してくれました。

稽古会報告はまた次回。

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はじめの一歩

明日は月一の稽古会ですね。

先週の甲野先生の余韻は残っていますか?

稽古会を主催する側としていつも気になっているのは、どうすれば稽古している実感をもってもらえるかということ。

どうしても「何を稽古していいのかわからない・・・」ここから一歩抜け出すのは大変な様子です。

今常連としてきていただいている方の中にはしっかりと自分の道を歩き始めたなぁと思われる人もいるから、明日そのあたりを話し合ってみようかなぁと思います。

すこしでも稽古の参考になればと思います。

ランキングです、ご協力を!

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アクテノン初稽古へ

アクテノンでの初稽古にいってきます。

総勢3名?

昨日見つけた腰の横流れを試してきます。

3歳の娘も連れて行くので、子供遊びも研究してきます。ピアノも活躍しそうなので、いつもの稽古の雰囲気とは違ってきそうです。

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横流れ

カラダに横方向の流れが出始めて3ヶ月ぐらい・・・かな?

昨日自宅で子供と遊んでいる中でカラダがすぅ~っと前に進んでいく感覚を発見。子供に対してその感覚を意識して動いてみるとなんだか「あれ」に似ている。

「あれ」というのは相撲取りのすり足。

最近脂肪が気になってきたのでしゃれにならん!

それでも腰が別々に動くような感覚は大発見。またサイトで詳しく書きます。

以上。

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